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2009年12月 アーカイブ


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2009年12月01日

「飼い猫に他人が餌をやるのはよくない」派だった私だったが、先日ネコの餌のサンプルをもらってちょっとした出来心で窓辺の塀の上にパラパラっと撒いたら、次の朝餌がなくなっていた。

「食べたんだ」

正直言って、ちょっと嬉しかった。

だって「ネコ」に縁のない私だ。
どちらかと言うと、嫌われている。

こんなに近くに居ても遠い存在の・・・と言うとなんか片思いの表現っぽいが、それぐらい接点がない「ネコ」なのだ。

ウチの敷地の塀の上は近所のネコ達の通り道。私が引っ越してきてから世代がかわったりしつつも、ここはどうもネコ道になっているらしい。朝から深夜まで、黒いのやブチや茶トラが鈴を鳴らして通って行くのだ。

この辺りを縄張りにしている数匹のどのネコも首輪をしている。「自分ん家」から”行ってきま〜す”と、探検に出かけてきているわけなので、彼らは別にひもじいわけじゃない。もしも私がネコの飼い主だったら、自分がちゃんと餌を上げているので勝手に餌をやったりしないで欲しいと思うだろう。

でも、でも。

餌でネコ達ってこんなに態度が変わるのか。

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サンプルの続きを昨日、同じ場所に撒いたら日中に二匹の兄弟ネコがやって来た。彼らは唯一私になついてくれたムサシが居なくなってから、斜め前の家に新しくやって来た2匹だったが、全くなついてくれず今までず〜〜〜っと無視されて来ていたのだ。

あんなに無視され続けていたのに。

今日は写真を撮らせてくれるようになったではないか。しかも、こんなに近くでくつろいでいる。写真を撮って窓を閉めたら、「ニャー!」<開けてちょうだいよ。>と、言っている。で、触らせてくれるのかと思ったらそこまでは気を許しているわけじゃなく・・・.

<ちょうだいよ。あれ>

<持ってんでしょ>

こんな所でカツアゲされる気持ちを味わうとは思っていなかったが、ネコが私の方を見て何かアクションを起こすことは本当にめずらしく、ついついサンプル餌をまたここでパラパラっと撒いてしまった。

サンプルが終わるまでのおつきあい。か・・・。

しばらくの間だけ「使えるヤツ」な、むなしい私なのである。

Posted by 吉川みき 2009年12月01日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2009年12月02日

「人の名前が覚えられない」

「忘れ物をよくする」

「部屋がかたづけられない」

人はそれぞれ自分のネックになるところを持っている。私にもそういうものがたくさんあるのだが、そのうちの一つに「日にちを間違える」があってこれで結構恥ずかしい思いをすることになっているのだった。

今日は1日ずれて12月3日になっていた。3日であることを前提にメールを何本か送って随分経ってから間違いに気づいたのだが、内容的に再度送り直さなければ何か大きなミスにつながる、またはご迷惑をおかけするといったことではなかったので、しばらく「う〜む」と考えたが、今日の日にちを間違えていましたというメールを敢えて送るのもなんだなぁと思い、そのまま恥はかき捨て状態にしていたのだった。

夜になって、私が日を間違えて送ったメールの方々から返信があった。

返信メールのいずれにも、さりげな〜〜く私が日にちの間違いを自分で気づくような導きで文章が構成されていた。もし私がこういったメール文を書いたとしたら、通常より労力と時間は間違いなく要ったのだ。

返信を受け取って、とっても恥ずかしくなった。

今日は12月2日、水曜日。

水曜日と木曜日がどうも混同しやすい私なのである。

Posted by 吉川みき 2009年12月02日 | | コメント (2) | トラックバック (0)

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2009年12月03日

雨。

12月に入ったのに、どうも12月の感じがしない。

紅葉とクリスマスイルミネーションが同じ景色に収まる。

そして雪ではなく、今日みたいに雨が降る。

雨が降っているよ。

「お散歩は今日はなし」

「雨だからね」

窓を開けてダンボに教えると、ダンボはお散歩がなくなることをおとなしく受け入れてくれる。

でも12月。

一年の最後の月だ。

Posted by 吉川みき 2009年12月03日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2009年12月04日

今日はお世話になっているkizzna stationの開局3周年記念日。いつもは顔を合わせる機会がなかなかない番組スタッフ&メンバーがkizzna styleの川島ノリコさんの番組に集う。にぎやかな夜になりそうなのだ。

開局からお世話になっている私も、もう気づけば70回以上の放送をさせて頂いている。メンバーの入れ替わりもほとんどない顔ぶれになので、始まってまだ3年とはいえ、なんだか長いおつきあいになった感じもする。年齢も音楽を始めた時期も違えば、パーソナリティとしてずっとお仕事をされている異業種の人とも一緒になれる場は、また独特の面白さがある。ちょっとしたことが、「へぇ~、そうなんだ」と新鮮に映ったり、また同じ音楽でも活動するジャンルが違うとこれまたちょこっとずつ普段見ている景色が違うので、情報交換なども出来るところも沢山ある。

今日はスタジオのある市ヶ谷に行ったら、誰も人が居なかった。お、私が一番乗りかな?と思っていたら、私は場所を間違えていて、既にもう控え室はにぎやかに盛り上がっていた。

ここはメンバースタッフ共にお酒の強い人が多い。前に私にしたらめずらしく夜中の3時近くまで残ったことがあったが、どうしても眠たくて帰った時も確かまだ5〜6名が飲んでいた。その日は朝までだったと聞いてすごいなと思ったが、今まで私が参加した飲み会はあとで聞くと全て朝までコースだった。今日もその心づもりで来ているメンバーが数人居たので、やっぱり酒豪揃いなのだ。

開局時に番組のお話を頂いた時、私は驚いたのと同時にとても嬉しかった。あまり体の具合いがよくない自分にそういう機会はもうないだろうと思っていたし、まさか声をかけてもらえるとは思っていなかったからだ。その後実際にご迷惑をおかけしてしまったにもかかわらず、こうして今も機会を頂いている。

やさしさと思いやりをひとからひとへ運ぶインターネットラジオ局。
kizzna stationのキャッチフレーズだ。

やさしさと思いやりを私はここに居る人達から沢山もらった。

愛情をもらうと、また誰かにそれを渡せたらいいなという心が芽生える。

3周年ということは、今日から4年目。

いつの間にか、肩を並べて歩いている仲間がいる場所がここにも増えていたんだなぁとにぎやかな控え室でポっとあたたかくなったのだった。

Posted by 吉川みき 2009年12月04日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2009年12月05日

「散歩の達人」という雑誌がある。

<大人のための首都圏散策マガジン>というサブタイトルがついていて、東京のあちこちの街を取り上げている雑誌で、私も大好きな雑誌の一つなのだ。街ブラの雑誌というのは女性が手にしやすいタイプのものがほとんどの中、この散歩の達人は路地裏の昔ながらの焼き鳥屋さんやちょっとマニアックな看板が収められていたり、”お洒落な”作りではなく、独特の目線でその街を捉えている。ゴツっとしたリアルな読後感が得られるので、男女問わずこの雑誌のファンは多い。

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その「散歩の達人」12月号のイラストが、元ご近所さんで今も仲良くさせていただいているモリナガ・ヨウさんなのだ。前の家では、いつも家にいる様子のこのモリナガさんが何をやっている人なのか、すご〜く気になっていた。家のそばで会うと大抵モリナガさんは作業エプロンをしている。そしてたまに二人連れでお勤めをしている風の人が家を訪ねていた。今思えば、訪ねて来る人達は出版社の人達だったのだが、当時は謎の仕事人として、興味津々なヒトだったのだ。

モリナガ・ヨウさんの絵は、私が子供の頃に繰り返し眺めてボロボロにした絵本辞典の中にある「いえ」のページを思い出す。「いえ」のページには、数軒の家が描かれていて、その中で人が暮らしている様子が描かれているページだった。子供部屋には子供が勉強をしている。お母さんは洗い物をしている。ここにはピアノが置いてあって、女の子が練習をしていたりと、隅から隅までどこを眺めてもワクワクさせられる魅力があった。

今号の散歩の達人は「銀座」がテーマになっていて、表紙のイラストは昭和30年代の銀座の景色が描かれている。路面電車が走り、百貨店があり、だがまだそれほど高いビルが建っていない頃の銀座だ。

昔の銀座ってこんな感じだったのかぁ。

モリナガさんのイラストはやっぱりワクワクする。

銀座は普段、私はどこをどう歩いていいかわからない街だ。高級店が並んでいるし、馴染みの店もなくちょっと敷居の高い印象のまま、少なくとも私にとっては吉祥寺の方がうんと楽しい。だけど、散歩の達人の銀座を知れば「行ってみたいな」という気にさせてくれる。

今一番お勧めの本なのだ。

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2009年12月06日

友人が近況に添えて、家の近くで見つけたという枇杷の花の写真を送ってくれた。

今の家に引っ越して初めて見つけたそうだ。背が高いのでなかなか花が見れずにいたのが、今年は低い木に咲いているのを見つけたということで、私も花を見るのは初めてのことだ。「枇杷」と聞けば私は口の中がシブ〜くなる。「梅干し」と聞いたら口の中が酸っぱくなるのと同じで、何故か枇杷は昔食べた味の印象でそう残っているのだ。そしてこれまた何故かしら、”おばあちゃん”のイメージがあり・・・・、シワシワでちょっぴりひからびた果物が私の抱く「枇杷」なのだった。

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でも、花ってこんなに綺麗だったのかぁ・・・・。

可憐な姿が意外だった。

散る時期あれば、咲く時期あり。

枇杷は今、花盛りの季節なのだ。

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2009年12月07日

ブォ~ン、ブォンブォンブォン。

ブォオオオオ~~~ン。

また始まったか・・・・。

私の寝ているベッドの窓の向こうが駐車場なのだ。ここに2台の車が止まっているのだが、寒い季節になると持ち主が車を出す時にエンジンを暖める為結構長い時間アイドリングをするのだ。

短時間なら気にならない。だが、アイドリングも長時間になると雨戸と窓ガラスをすり抜けて排気ガスが家の中に侵入してくるのだ。これがとっても臭い。そうして、私は毎朝ベッドに居ながらにしてバスの後ろで待っているバイク時の状態となっているのだった。

郊外型のスーパーの広い駐車場やなんかでも、たまに「前向き駐車でお願いします」という看板を見かける。あの時は出庫しにくいのになんでなんだろうと思っていたのだ。エンジン音がうるさいから近所の人から苦情が来たのかなぁ?位にしか考えていなかったのだが、あれは音のことじゃない。

ブォ~~ン、ブォンブォオオオン。

あぁああああ。また出勤なんですね。

早く行ってくれ~~~。

ひとしきり空ぶかしをして、最後に大きなのを一回ブォオオン!とやってからようやくご主人は車を出して去って行く。クレームをつけられたらいいのだが、ご近所さんであるということと、「お宅のアイドリングで部屋に排気ガスが入って来るんです」と訴えたところで、「あぁ、それは申し訳ないことをした」と思ってもらえるとは思えない。子供が騒いで階下の人が「ドンドンされてうるさい」と言いに行くという話は聞いたことがあるが、排気ガスについては一般的には迷惑を被る人は、物音に不満を抱えている人よりも数にすれば少ない。従ってそんなことを訴えてもわかってもらえる率は低いということになるのである。

「あそこに住んでいる人、排気ガスが家ん中に入ってくるから、エンジンをかけるなってこの間言って来たんですよ」「まぁ、なんて神経質なんでしょう?エンジンかけるなって、そんな、無茶な話ですわよね〜」といつのまにか、極端な話にすり替わって私はクレーマー女として一気に変わり者になってしまうのである。

ブォ~ンブオオオオオン。

ブーーーーーン。

行ってらっしゃいませ、ご主人様。

私の冬は、毎朝排気ガス時計で目覚めるところから始まっているのである。

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2009年12月08日

テレビで、リポーターが食べ物の取材をやっている時のお決まりの文句で気になっていることがある。それはとれたての野菜を口にした時に発する「甘いですね〜!」という言葉なのだが、私は今まで100%と言っていい、野菜のお味の感想は「甘い」しか聞いたことがないのだ。

果物の「甘い」なら私もわかる。イチゴは酸っぱいのより、甘いのを食べたいし、キウイだってリンゴだってみかんだってバナナだって同じだ。だが、土から抜いたばかりの大根をかじって「あ、甘いですね〜」と言われても、私としてはどうしていいかわからない。野菜ではせいぜいトマトの「甘い」までが自分にわかる範囲だろう。しかもトマトにしても、私は別に甘くなくていいのだ。水っぽいより濃い口あたりがいいなとは思うが、イチゴのような位置づけを求めているのではないので、甘さは問わない。どっちでもいいのだ。

しかし、野菜を紹介する時はみなさん「甘い」とおっしゃる。

ラディッシュをかじって「甘い」

きゅうりをポリっとやって「甘い」

白菜も「甘い」

ケーキのリポートでは「甘い〜」と言わないのに、みんなおかしいのだ。

ラディッシュは甘くない。

きゅうりはカブトムシの味。

白菜も甘くはない。

と、私は思う。

野菜は、いくら新鮮でも、別に叫ぶほど甘い食べ物ではない。

ケーキを食べた時のほうがよっぽど「甘い!」。

だいたい野菜は塩味で調理する場合が多いではないか。だったら最初から既に漬け物味になっている野菜があったり、ダシ風味の大根があったりした方が私は「食べてみたい」と思う。一体何の為にテレビの人全員が「甘い」と言うのか。

あまりにしつこくテレビで野菜を「甘い」と紹介するので、もう最近はそういう紹介がうるさくなってきたのだ。この笑顔が信じられない。そうだ、この人は仕事を頑張っている人で、私に美味しい野菜を教えてくれる人ではないのだ・・と思って見るようになってしまった。

私は今まで野菜を食べて「甘い」と言ったことがない。

でも我が家では、新鮮野菜を使用しているのである。

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2009年12月09日

ダンボの餌はこの数年ドライフード、彼には一日2回のご飯タイムがある。

その他に少しのオヤツがある。

食べ物は、以上で終わり。

これだけだ。

考えてみれば、犬の楽しみは食べることと散歩ぐらいしかない。暇つぶしにゲームをすることもなければ、メールで愚痴を言える場所もない。散歩で外に出られたとしても首にはヒモがつけられていて自由に好きなところには行けないし、食べ物にしても与えられた物以外はありつくことが出来ないのだ。

自分の好きな食べ物も買いに行けないし、その楽しみの食事が月曜日も火曜日も、春も夏も秋も冬も、ず~~~っと毎日同じだなんてと思ったら、人間ではあり得ないことだなと思うのであった。

人間の”悲惨”はせいぜい、<作りすぎてしまったカレーを5日続けて食べた>程度だ。あとは昼が必ずソバになるという働く男性が居たり、「あら、昨日もそう言えばハンバーグを食べたわ」とうっかり忘れて二日メニューを選ぶということはあるぐらいなのだ。

・・・・・。

今日もご飯の時間になると、ダンボは狂喜乱舞して私の足下でご飯を待っている。私の食事タイムが終わると、自分の番が来ることを知っているので、私が食べ終わる頃から興奮してぶつかって来たりするのだが、これがもうウチでの日常になっているのだった。

昨日も一昨日も食べたこのウサギのフンのような餌を食べる時が、サイコ〜に幸せらしい。

こんなに喜んでくれるだなんて。

ご飯をもらえることが、幸せなダンボ。

昨日食べたのと、同じやつだよ。

いいのかい。

宝くじに当たったら、私もこれぐらい飛び跳ねるんだろうな。

ま、いいや。

毎日、彼はとっても幸せみたいなのである。

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2009年12月10日

私の住んでいるところは袋小路になっているので、通りすがりの人が家の前を歩くことはまずない。ここに住んでいる人か、配達のお仕事で来る人、あとは住人を訪ねて来る人やガスや水道メーターの検針にやって来る人・・・。まぁ限られた人しかこのエリアには入って来ないはずのだが・・・。

実際は違う。

単に私が見ていない、というだけの話なのである。

ポストを開けるといつも何かしらのチラシが入っている。ピザ屋さんのチラシだと一週間に一度ぐらいどこかの店のものが入っているので、もうこっちの管理が追いつかなくなった。次に多いのは土地を探していますというチラシ、それから分譲マンションのチラシで、こちらも私には関係のないチラシになる。他には不要品引き受けますのチラシ、お墓を買いませんか、塾の案内にリフォーム案内・・・etc・・と各種チラシが、私の知らない間に入っているのだ。

取り出しても取り出しても、次にポストを開けたらまた新しいチラシが入っている。

なんだか最近は、ポストを空にすることが、知らない人の仕事上で出たゴミの一部を捨ててあげる行為のように思えてきて、ちょっとストレスになってきたのだ。

チラシはいらない。

いらない。

今日は、部屋の中から偶然チラシのポスティングをしている男の人を発見した。奥の家のポストから順に回っている所だった。ということは、もうすぐ家に来るということなんだわ。

ポスティングの人は家人が見える場所に居ると、そこの家にはチラシを入れずに行くという習性がある。

今なら間に合う!

急いで玄関に行ってドアを開けた。

<ガラッ>

すると、タッチの差で私の方が遅かった。

男性は私と目も合わさずに二階の人のポストにシュシュッとチラシを入れ、背を向けて知らん顔で歩いて行ったのだった。

<知らん顔>が無性に腹立たしい。

おのれ〜〜〜。うむむむむーーー。

しかし、どのチラシが彼のチラシかが特定出来ないのだ。

家の前に出てしまった手前、しばらく去って行く背中を見つめていた。

『あなた、行っていらっしゃい。はやく帰っていらしてね』

どうしてこうなるの。

まるでその光景は、”旦那を送り出して家の前で見送る妻”の図であった。

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2009年12月11日

携帯をFOMAに替えて、着ボイスがダウンロード出来るようになったので、今一番お気に入りのブラックマヨネーズの「メールが届いたで!ヒーハー!」をメール着信音にしていたのだが、それはもう早速使わなくなってしまった。

家で「ヒーハー!」と鳴る分にはいいのだが、外でこの着ボイスが鳴ると非常に恥ずかしい気分になることに気づいたからであった。

外に出た時、私は誰かの携帯が鳴るとふとそれを耳に留めている。「あ、@@って曲だわ」「この人はこういう趣味なのかぁ」などなど、すれ違っただけの見知らぬ人であっても、ほんの少しその人の素の部分を見たような、いやもっと言ってしまえば秘密を知ったような生々しい感じさえするのだった。

と、いうことは逆もあり。
と、いうことだ。

「メールが届いたで!ヒーハー!」

<あっ、あっ、私じゃありません。いえ、私のです。あっ、なんでもありません>

別に周りの誰も反応するわけではないのだが、やけに自意識過剰になってしまう。それでマナーモードに切り替えて結局、携帯が鳴っても気がつかないなど本末転倒なことになってしまい、数日ですっかり疲れてしまったのだ。

好きだけど、さよなら。

好きだけど、別れるってこんな感じなのかしら。

さよなら、お気に入りの着ボイス。

私の短い恋はこうして終わったのであった。

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2009年12月12日

今年は去年よりクリスマスイルミネーションを家の外に飾る家が増えたと思う。店で売っているものも種類が豊富になったし、値段もずいぶん手に入れやすくなった。バス通りに建つ万年イルミネーションの家はすっかりクリスマスブームが去って、あそこの家だけはイルミネーションが点灯しないが、帰り道はどの道を通ってもあったかいイルミネーションが瞬いているので、寒さが和らぐのだ。

しかし、中には「こ、これはやりすぎ・・・」とてんこ盛りイルミネーションの家もある。家にある雑貨を引っ張りだしてきて隙間なく飾った、というような家や、配色や配置が今ひとつクリスマスのムードではなく、夏祭り会場のようなセンスに仕上がってしまったような家・・・。

だが自分の家の敷地いっぱいに飾っている家はまだいい。

最近発見したのが、家の前の電線にも電飾を飾ってそのまま道を挟んだお向かいの家にまでイルミネーションを伸ばしている家だ。

この道はたまに通る道で、12月に入ってから日中は気づかなかったが、夜になるとこのチカチカが瞬いて、普通の道路なのに電線に電飾を這わせているのがそのまま電飾アーチになっているのだった。一般道路で、こんなディズニーランドみたいにしちゃっていいんだろうか。いいんだろうか。いいんだろうか・・・。と、考えていたら道にぶつかりそうになった。

よく「幽霊トンネルでお化けを見てそのままトンネルを出た直後のカーブを曲がり切れずに事故をした」というエピソードを聞くが、クリスマスイルミネーションに誘われてあやうく私も事故をするところだったのだ。

年末になると物騒な事件が多くなる。

イルミネーションを飾っている家とそうでない家、泥棒からすればどちらが入りやすいという傾向があるかもしれない。個人的にはイルミネーションの飾ってある家の方が家人の温かみみたいなものが、家の外にも漂ってきていて悪いことをこの家でするという気持ちが少し減るかもしれないなと想像したりしてみる。

13日の深夜にはふたご座流星群が見える。

地上でも綺麗な星が瞬くこの季節なのだ。

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2009年12月13日

いつ頃からか、あちこちの店にアロマディフューザーが並ぶようになった。アロマディフューザーは一見小さいランプやガラスの花瓶のような形をしていて、霧が出ているのが一般的なタイプのものだ。東急ハンズでもエレベーターを降りたすぐの所にアロマディフューザーがずらりと並んでいたので、今人気の商品であることがわかる。

お香、アロマライト、サシェ、ポプリ・・・etcと香りものが好きなので、店で最初に見つけた頃から惹かれていたのだ。香りものは既にたくさん持っているが、アロマディフューザーはいい香りが霧になって出て来るというところが他にはない点だ。

この「霧」がなんともホッコリする。

この間、ついにこのアロマディフューザーを買ってから、また香りアイテムが増えて、「どれにしようかな」とアイテムを選ぶのが、ささやかな私の幸せな時なのだ。

男性はこういうアロマ系の香りを「くさい」と言う人が多いらしい。”匂いに癒される”という感覚は女性の方が多くあるのかもしれない。

<おやすみなさい。>

香りが消えた時が、私の毎晩の眠りにつく時だ。


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2009年12月14日

妙な習慣をダンボとの間で作ってしまったのだ。そもそもはお風呂が嫌いなダンボが、必ず私のお風呂タイムの時に何かを察知してベッドの下に逃げて隠れるということが始まりだった。

別にお風呂に入れないってば。

そこまで逃げなくてもいいじゃない。

最初はお風呂場が嫌いなダンボが可笑しかった。私がお風呂に入りに行こうとするとその度に逃げ隠れるので笑っていたが、そのうちに「別にお風呂場は嫌なところじゃないよ」と、少しはそのストレスから解放させてあげたいなという気になってきたのだった。それでオヤツ作戦を立てたのだったが・・・。

オヤツの力はすごい。

オヤツを持って私が風呂場に行くと、その日から私の後を着いて風呂場に来るようになったのだ。

だが、湯船に入れられては大変と警戒心は強く、オヤツは欲しいが風呂場の外でモジモジして待つようになった。

<別にお風呂に入れないって>

少しずつ、少しずつおびき寄せるようにして毎日オヤツで釣っていたら、ようやくお風呂場は嫌いな場所ではなくなり、逃げ隠れることがなくなったのだった。

が、オヤツで一度味をしめたダンボ。

今度はお風呂場に行けばオヤツがもらえると、そんな解釈をするようになってしまったのだった。

そういうつもりではなかったが・・・。

私がお風呂場でくつろいでいるとダンボが顔を覗かせる。

<オヤツ欲しいな>

せっかくお風呂嫌いがなくなったんだから元に戻るよりはいいかと、私もそこら辺が甘く、「じゃぁ、一つだけね」とオヤツをあげてしまう。

「はい。もうおしまい」

そう言うと一旦はトコトコと去って行くのだが、しばらくするとまたやって来る。

<また、欲しいな>

「また来たの?」

犬というのは、「こういう顔をしたら飼い主を落とせる」という感覚を持っているのかもしれない。ここでまた甘い私は「もう、これでおしまい」と言ってまたオヤツをあげてしまうのだった。

「これでおわり」

うん、わかった。

トコトコトコ・・・・

そうしてまた一旦ダンボは去って行くのだが、どういうつもりなのかしばらく時間を置くと、またあらためて出直して来て、それを繰り返すということが彼の新しい行動パターンとなってしまったのだった。

<また、オヤツもらいに行ってこよう>

お風呂場はオヤツをもらうところ。

お風呂嫌いを克服させるつもりだったのが、そう教えてしまった悪い例なのであった。

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2009年12月15日

バイクを止めて駅に向かって歩いていたら、役者の阿部サダヲさんとすれ違った。

私の住む辺りでも有名人と遭遇することがある。少し前に阿部サダヲさんもこの辺りの人らしいよという話を耳にはしていたが、鳥打ち帽をかぶって手ぶら姿・・・・、とても不審なオーラを放っていたので、テレビで知っている人でなかったなら、「怪しい人物」として記憶に残していたのだ。

テレビでよく見ている人、というのは実際には見ることはないというイメージがある。なので、このようにして不意にすれ違ったり見かけたりすることがあると、私はいつも二度見をしてしまうのだ。見られる側であれば、自分のことを何度も相手が見ることに「芸能人だから自分は見られている」という窮屈な気分になるかもしれない。だが、必ずしもそうではない。例えば今日のケースもそうだ。

まず、ぼ〜っと歩いている時に向こうから歩いて来る阿部サダヲさんを認識する。

<あっ、知っている人だわ>

<しまった。どこで会った人だったかしら。>

<思い出せないわ>

<誰だっけ>

<あっ、阿部サダヲ>

3秒ぐらいの間にこれだけのことが頭を駆け巡ったのだ。この間の私は必死だったと思う。ぼんやり歩いていて突然クイズを出されたようなドキドキ感の中で、私も相当焦ったオーラを放っていたに違いない。

今日みたいにすれ違うまでに思い出せた時はいいのだが、これが思い出せない時もある。

<あっ、知っている人だわ>

<しまった、どこで会ったんだっけ>

<思い出せない・・・>

<でも何度も会った人のような気がする>

<でも、どうしよう。誰だったか思い出せない>

<とりあえず、会釈だけでもしておこう>

と、数秒で思い出せずに会釈をしてしまうこともある。そうして、この他愛な勘違いによって、せっかくの休日を得た有名人に「俺って外に出てもプライベートがないんだ」的窮屈な気分にさせていたりするのだろう。

しかし手ぶらで鳥打ち帽、目的を持って歩いている様子もなく・・・。あの道はよく歩く道だが、トップクラスの挙動不審オーラを放っていた。あれでは恐らくその後も私だけでなく数人にジロジロ見られたであろう阿部サダヲさんであった。

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2009年12月16日

家に帰る地下鉄の電車の中で、ふと顔を上げたら斜め前に立っている女性の履いてい居るスカートが自分の持っている物と同じであることに気がついた。色も同じ、そのスカートは新宿の百貨店で買ったものだったので、同じ方向の帰りの電車の中で履いている人が居ても、別におかしくはないのだが、それは今日履いて行こうか迷ってやめたスカートだったので、個人的にはちょっぴり驚いたのだ。

2年前にやはり新宿ですれ違った女性が、自分の持っている同じコートを着ていた。その時も私はその日別のコートを着ていたので、まだ一度も「あら、同じ洋服だわ」と互いに驚くことには合ったことがないが、そりゃぁそういうことにだって、そのうちあってもおかしくはないだろう。自分の持っている洋服は他の店でも売られていた商品。なので、自分が最後の一枚を買おうが日本中に同じ服を持っている人は複数人居るわけで、宝くじには当たらなくても同じ服を着ている人に合うことはある。

今日はたまたま自分が見つけた側だった。

でも見つけられる側になることもある。

その時は私の方は気づかないんだろう。

<あ、それ・・・>

<セールで買ったやつですよね>

<すごく安かったやつ>

<ふぅ〜〜ん、それ部屋着じゃなくて・・・>

<お出かけに着てるんだ>

今日、私はそのスカートを履くのをやめて寒さ対策として、しっかり寒さをしのげる格好で出かけた。お洒落というより防寒を軸に着込んで行ったのだったが・・・。

私が同じスカートの女性に目を向けていた時に、同時に私もこんな風に誰かから見られていたかもしれないのである。

「ジロジロ見てるんじゃないわよ」

昔、ヤンキー女は目が合っただけでこのように絡むという習性があった。

相手はちっともケンカを売っていたわけではない。言い訳を言える隙も与えられなかったと思うが、その時彼女は<まぁ!私と同じ服だわ>と思って見ていただけだったかもしれないのである。

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2009年12月17日

時々私は外出先で、「なんでもうちょっと暖かい格好をして来なかったんだろう」と後悔をすることがある。真冬の思い切り寒い時期になればうんと暖かい格好で外に出るが、それまでのまだ不安定な今位の寒い時期にこの失敗をしてしまうのだ。

<なるべく軽い格好で出かける>というのと、<寒さ対策をしっかりして出かける>の二つを天秤にかけて、今日の運勢を占うかのように天気予報で判断していく。で、外出先で「今日は大正解!」と吉と出たことに喜んだり「途中暑くて上着が荷物になった」と失敗をしたり、「薄着で寒すぎた」反対の失敗もありつつ、厳冬及び猛暑以外のグレーの季節を過ごしているのだった。

今日は1月下旬並みの寒さということなので、今日はジャンパーの上にダウンコートを羽織り、その上に更に中綿コートを着込んでバイクに乗って出かけた。

友人がいつだったか言っていた。

若い時は格好を気にせず、汚い格好をしていても、せいぜい傍目から見れば「汚い若者」にしか見えないが、私達ぐらいの年齢になると、格好を気にせずにいたら、形容しがたい本物のくたびれたおばさんになり侘しさが漂うので、なるべく小綺麗にしているのだと。

それには私も納得する。

しかし今日は悲惨を越えて、おすもうさんの着ぐるみでも着たかのような出で立ちになっていた。

ドスコイドスコイ、おすもうさんが通る。

寒さはしのげるが肩こりがひどくなる寒さ対策なのである。

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2009年12月18日

今の家に住んで3年半が過ぎたが、最近裏の家との境界線にある謎の板を発見したのだ。

狭い場所なので、私はここまで入ったことがなく、だが明らかに誰かが何かの理由でここに取り付けたと思われる板だ。斜め裏の家のこの位置に窓があるというのに、雨戸を開けても板で外が見えないようになっているのだった。

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私の家のこの位置は丁度壁になる。別に板なんてなくてもお互いの家が見えるわけではないのだが・・・・。

不思議なのは、この場合、もしも「やっぱり外から見えるのはいやだわ」と思うとするなら、斜め裏の家の人だろう。だってこちらは壁しかない。あちらに窓があろうとなかろうと何の影響もない。だが、その板はこの家の敷地から打ち付けてあるのだった。

誰が。

何の為に。

わからない。

私が来る前に何かトラブルでもあったのだろうか。この板境界線は見たところ、やはり親しみを感じる存在ではなく、何らかの抗争のニオイがするのだが・・・。過去のこの辺りの人間関係まではわからず、闇の中なのだ。

この板、だが最近困ったことになっている。それは雨風でだいぶ痛んだのか、留めた箇所の一部が破損しているようなのだ。中途半端に外れて中途半端にひっついているおかげで、強い風が吹くと板が揺れて私の家の壁にガツンガツンと当たって来る。

夜中に「ゴン」と音がするのはビックリする。犬も事情がわからないので、このポルターガイスト現象に怖がって吠えるのである。

板を外したい。
あれはあってもなくてもいい板なんじゃないだろうか。

そう、別にあそこでなくていい。

10メートルずらしてこっちについ立てをすれば、朝のアイドリング車の排気ガス攻撃が少し和らぐのではないか。

とにかく修理をしないと、日常的に板が家に当たるので困るのだ。

不動産屋さんに近々電話しよう。

一応、「家の壁が壊れた」と伝えようかと考えているところなのである。

Posted by 吉川みき 2009年12月18日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2009年12月19日

最近お気に入りのアイテムが「蒸気でホットアイマスク」シリーズなのだ。若い頃は「疲れ目」「肩こり」ってどんなものなのか知らず、自分には無縁の現象なのだと思っていたが、今では日常的に「疲れ目」「肩こり」を肌身離さず持っているようなものになった。

今の私は「美肌」「たるみやしわに効く」「しみが消える」などよりも、「目元がスッキリする」「肩こりが楽になる」商品の方が心惹かれるので、この蒸気でホットアイマスクも日用品を買いに行ってレジで待っている時に「あら、これっていいわね」と手にしてカゴに入れた品なのだった。

レジ近くに置いてある商品は、私みたいに「あら、こんなのがあるのね」と目に留めてそのままカゴに入れてしまうタイプの客向けにある。しかし、このなんとなくカゴに入れたアイマスクがとってもいいのだ。

お風呂上がりに化粧水をつけて、アイマスクをつけてぼ〜〜〜っとする。

ほんの5〜10分で効果が終わるが、この数分間で一日の疲れが取れるというか、気分的にリセットも出来て、アイマスクを外した時には気持ちが赤ちゃんになっているのだ。

あぁ〜〜、生まれ変わったわ〜。

お肌の生まれ変わりもいいが、心の生まれ変わりの方がもっとエネルギーを自分に蓄えられる気がしている。

蒸気でホットアイマスク、寝る前の私の日課に加わったのだ。

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2009年12月20日

1904年の今日は、三越がデパート式の営業を始めた日なのだそうだ。

1904年と言えば今から100年とちょっと前のこと。なので、きんさんぎんさんが生まれた頃にはデパートはなかったということになる。印象としてはまだ100年しか経っていないのかぁ・・・と少し意外に思ったが、そんなものなのかもしれない。三越は元は呉服店として始まったので、いきなりデパートが誕生をしたわけではなく、店の新しい形としていろいろな商品を置く形態になっていったのだそうだ。

デパートは幼い頃の私にとって都会の象徴だった。子供の頃は自分一人で行ける場所ではなかったし、なにより母がいつも履かないパンプスを履きお洒落をして出かけることで高級な感じがした。

エレベーターとエスカレーターを初めて見たのもここだ。私はエレベーターとエスカレーター、どっちがどっちの言葉だったか覚えられなかったのと、あとなかなかエスカレーターにはうまく乗れずに苦戦したものだった。

私が好きだった場所はデパートの中にあるレストランだ。入り口のガラスケースに並んでいるメニューが豊富で、それこそその中が百貨店そのもので、<あれもこれも美味しそうだなぁ><その中から好きな物を選べるんだなぁ>と、結局はおこさまランチに落ち着くのだが、”どれでもどうぞお好きなのを”と用意されているところが贅沢だったのだ。

デパートは今も私にとって都会の象徴。

何でも揃う夢の国。

今日のおもちゃ売り場には、子供達に贈るプレゼントを選んでいるサンタさんがたくさんやって来ていることだろう。

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2009年12月21日

新聞を取っていないので、普段はパソコンでネットニュースを見ているのだが、短いタイトルに誘われて覗く記事も多くなったのだ。

今日は「エアコン売りに来てブルーレイ盗む」というタイトルに目が留まった。これはタイトルだけ見て、内容がわかってしまったので中は読まなかったが、何かの標語みたいなリズミカルな文章だなぁとちょっと笑えた。

しかし、イライラするものもある。某新聞のネットニュースでは、一般の人参加型の掲示板のようなものがあって、相談ごとをしたトピ主に対していろんな人が意見を返したりするのだが、ちょこっとタイトルに惹かれて覗いたら最後の方まで読まないと収まらずに随分道草をしてしまう時があるのだ。

この間は「私だけが聞こえるんです」というような不思議なタイトルに思わずつられて行ってしまった。すると相談者は古いお屋敷に嫁いだのだけれど、どうも人の気配がして仕方がない。でも旦那さんに話してもお姑さんに話しても、そんなことはないと言う。でも夜中に確かに人の声を聞く。何か隠し事があるように思う家なのだけど、自分の精神状態がおかしいと言われていてどうしていいかわかりません。というような内容だった。

金田一耕助シリーズのような世界。それに引きずられて、そのまま先に読み進めてしまったのだ。

しばらくして。

「昨日はネコの毛と長い髪を見つけたんです。」というような更なる謎をにおわせるような報告があり、すると今度はそれに対して、「貴女に隠している存在の誰かが家の中にいるかもしれませんよ」などという誰かの助言が書き込まれる。<うんうん、言われてみれば私もそんな気がしてきたわ。>いよいよ続きが気になってきてしまうではないか。

そしてまたしばらくすると「今度友人夫妻に泊まりに来てもらって真相を調べてもらおうと思います」という報告がある。その時点で私はそれを読むのに30分ぐらい費やしてしまっているのだが、もうすっかりハマってしまっているのでここで終われなくなっている。

「友人達が泊まってくれたのですが、どうもとんでもないことを知ったようなんです」などという報告を読んだあとは、もう次の展開を知りたいせっかち人間になっていたのだが・・・・、

その頃から「あなたは寂しい人ですね」「途中から”釣り”だなとわかりましたよ」という返事がチラホラ出るようになってきた。そしてそれってなんだろう?と思っているうちに相談者は一方的に消えてしまったのだった。

「多分もうこのあとの展開は寄せられないですよ」「やっぱりね」のような文章が見られるようになり、本当にそれで二度と相談者は現れなくなった。

一体これってなんなのよ。

続きはどうなったのよ。

作り話だったってこと?

「エアコン売りに来てブルーレイ盗む」という記事では窃盗の事件を取り扱っていたが、私もこのようにしてニュースを読みに来て貴重な時間を盗まれることがある。

時々もうちょっと警戒心を強くして過ごさねばな、と思うのである。

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2009年12月22日

ニュースで、今年赤ちゃんにつけられた名前のランキングをやっていた。男の子の一位が大翔くんで、女の子が陽菜ちゃんということで、ベスト10に入っている名前を見ると、男の子の名前は他に翔、瑛太、大和、蓮などで女の子は美羽、結愛、彩乃、七海などが入っていた。

少し前はカタカナにすれば英語に聞こえるような名前が多かったので、またこの数年で傾向が変わって来たのかなと思うが、それにしても@@男、@@三郎、@@子、という名前は今はほとんど聞かなくなった。

私が子供の頃は「マツ」「ハギ」などの名前を聞くと「おばあちゃん名前」のイメージがあった。が、もうこれからは「@@子」という名前が子供達にとっての「おばあちゃん名前」になるのかもしれないのだ。

ランキングを見てみると、昔と比べて漢字が難しい字になってきたのかなという印象がある。小学生の低学年で習う漢字は子供達の名前にあまり出て来ない。私の名前の「美喜」も字画が多かった。私の幼少時代は、幼稚園の頃に丁度園児の間で「自分の名前を漢字で書ける」のが流行ったので自分も頑張って練習してみたが、漢字なんてまだ全然知らないので縦の棒や横の棒を何本書いたかがわからず、苦戦したのだ。なので例えば「翔」だと曲線の向きや、あと羽という漢字の”チョンチョン”の向き、自分の名前が書けるまでは可愛い失敗を繰り返すんだろうなぁと想像をしてみた。

日本語の名前を素敵だなぁと思う。呼び名と同時に別の意味が込められている。<ひろと><はると>と読んで<大きく翔べますように>と、先の人生が幸せであるよう祈りが込められている。

”健やかにこの子が育ってくれますように”

自分にとって深い意味を持つ言葉が名前には凝縮されている。

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2009年12月23日

今日は表参道もクリスマスムード一色。11年ぶりにイルミネーションが復活したせいか、通りがかったらすごい人だった。車は大渋滞、歩道には人があふれんばかりにいて、イルミネーション並木を写真に収めようと車道に出て写真を撮っている人もいるので、まずはこの人達を取り締まって欲しいと思うぐらい危ないエリアになっていたのだ。

表参道はかつて東京のクリスマスイルミネーションの代表のような場所だった。あまりに人が押し寄せるので、住民からの苦情が出たことと、イルミネーションにかかる経費や木そのものへの負担を考慮して一度は廃止になったのだが、もろもろの諸事情を乗り越えての今回の復活となった。だが、この一角を通っただけでとっても疲れてしまった。私が住民だったらやっぱり、もうイルミネーションはやめようよと言いたくなるだろうなぁと思ったのだ。

まっすぐに続くこの通りは確かに綺麗な並木道。イルミネーションが廃止になった時はクリスマス時期には寂しい景色になっていたが、木々は電飾の服を着せられ私達を見下ろして何を思っているだろう。

クリスマスで賑わう街は明るすぎて空にある星が見えない。こんなに沢山の人が居ながらにして、サンタさんがソリを引いて飛んで来ているのも誰一人として気づけない場所なのである。

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2009年12月24日

バイクで近所のパン屋さんに向かう途中でのこと。

信号待ちをしていたら、目の前の横断歩道を男性が走って渡って行った。

ここの角には人気のテイクアウトの焼き鳥店があって、お弁当も出しているみたいなのだ。男性はここでお弁当を買ったのだろう。急いで通りを渡った所に停めてある車に戻ろうと渡ったのだったが・・・・。

男性が走った後から遅れてヒラっと何かが舞い上がった。

そして横断歩道に落ちた。

何だろうと目を凝らしてみると、どうもそれはお弁当と一緒に袋に入れてあった割り箸のようだった。

あっ。
お箸。

既に男性は向かいに停めてあった車のドアを開けて乗り込もうとしていた。車はゴミ収集車で、助手席には仲間の男性が座って待っていて、すぐにでも発車するところだった。

どうしよう。
お箸。

落としたのに男性は気がついていない。

きっとこのあと車の中で昼食をとるのだろう。もう一人の男性は車の中で待っていたので、お箸を落とした本人が「俺はあそこの弁当を買うわ」という流れだったのだと思う。

今叫んだら声が届くかな。

信号待ちの車が他にも停まっているので、ちょっと自信がなかった。

どうしよう。
どうしよう。

さぁ、お昼だと広げた時にきっと男性はお箸がないのに気づいて困るだろう。せっかく好きなお弁当屋さんで買ったのに・・・。

信号が変わった。

信号待ちをしていた車が動きだし・・・。

あぁ、どうしよう・・・。

結局そのまま私も走り出してしまった。

ちょっと胸が痛かった。

横断歩道の所に来て確認すると、やはり割り箸だった。

見知らぬ男性よ、ごめんね。

あの時、大声を出して知らせるということにちょっとためらってしまった。もしも聞こえなかったら恥ずかしいし・・・そんな風に消極的な気持ちが勝った。

パンを買った帰り道、もう一度横断歩道に目をやるとまだお箸は落ちた場所にそのまま残っていた。

聞こえなくても叫べばよかったのに。

いい仲間にお箸を貸してもらって下さい。

メリークリスマス。
そしてあの男性に何か他のことでいいことが起こりますように。

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2009年12月25日

本日はクリスマス。

そして、「およげ!たいやきくん」が発売された日でもあるのだそうだ。

「およげ!たいやきくん」が発売されたのが1975年の12月25日。シングル売り上げ記録は21世紀になっても未だに破られていないという、超大ヒット曲なのだ。

どの世界でも長い年月の間に記録更新はある。超人がしのぎを削るオリンピックでさえ記録更新が出る中で、楽曲ヒットの記録更新がないことの方が不思議にさえ思うのだが・・・・、あらためてやっぱりすごい曲だったんだなぁと感じるのだ。

私の家にもドーナツ盤があった。

「むぁ〜いにち、むぁ〜いにち、ぶぉーくらはてっぱんぬぉ〜」という粘っこい歌い方と、変なルックスのおじさんとのギャップが新鮮で、子供達が口ずさんでいたが、歌詞の内容としてはたいやきくんはサラリーマンの象徴だったという深い意味もあった。

たいやきくんは自由を得て、それからどうなったんだったっけ。

2番では海で毎日楽しく暮らしていた。

そして3番では釣りをしていたおじさんに釣られて。

そうして・・・・・
食べられて終わってしまった。

そっか〜。ハッピーエンドじゃなかったんだ・・・。

今日はクリスマス。

イエス・キリストが生まれたことを祝うこの日、日本では奥の深い、ちょっぴり切ない楽曲が生まれた日でもあるのだった。

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2009年12月26日

信号待ちをしていたら、二人乗りの大型バイクが私の前に出て停まった。

ブルルン、ブルンブルン。

詳しいことはわからないが、このバイクは純正のマフラーではない様子。低音でブルンブルンと地響きを立てていて、そう言えばこのテのマフラーって最近あまり見なくなったなぁと思っていたのだったが・・・。

ブルンッ

と、音がする度に私の顔にマフラーから出る排気ガスが飛んで来るではないか。

目の検査をした時に、眼球にパフッと空気が飛んで来たが、ちょうどあれの風圧が強くなった感じだ。

前の二人は恋人同士のようで信号待ちの間にも親しげに会話をしている。

ブルンブルンッ。

あうう!

また顔に空気が飛んで来た。空気と言うとなんだか痛くなさそうだが、そんなことはない。十分痛いし、質量もある。マフラーの直径ぐらいの空気のボールが顔に投げつけられているような、そんな抵抗があるのだ。

ちょっと。改造するのはいいけれど、後ろに居る人にどういう影響を及ぼしているかを全くわかっていないですよね。

お宅ら、楽しそうにされていますけれども。

あのね。
別に恋人同士をうらやんで見つめているのではないんですよ。

ブルンッとやるのはやめてちょうだいね。

信号が青に変わった。

ブルンブルンブルン!

あっ、あっ、痛いじゃないの。

ブォオオオオーーーー。

バイクは最後にすかしっ屁を私の顔に思い切りして、そのまま一気に去って行ったのだ。

なんで普通に信号待ちをしていて、見ず知らずの恋人達に空気の球を顔に投げつけられないといけないのだ。

マフラーを改造したバイクの後ろには二度と停まらないぞと、今日は学習をしたのであった。

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2009年12月27日

今日のスーパーは年越しとお正月の買い物で賑わっていた。

もう今はスーパーのお正月休みと言っても元旦の一日ぐらいで、日常生活に困るぐらい買い物が出来なくなるわけではないが、それでもなんだか「買いだめ」しておかなくちゃ困るような気分になるからおかしなものなのだ。

だから今スーパーに入ると、私は「買いすぎないように」と呪文のように繰り返し自分につぶやいている。だって買いすぎて消費期限が過ぎてしまったら、一人でそれをなんとかしなくちゃならない。かつてのように同居人に食べさせるということも出来なくなったので、ここは慎重にお買い物をしなくてはならないのだ。

慌ただしい感じもするが、くるりと見回すとイライラしたり不機嫌そうに歩いている人も居ない。みんなそんなにまんざらでもなさそうだ。

景気はよくはならないけれど。
忙しいと悩んでいる暇もない。

今年を無事に終えて新しい年を迎える準備にみんな忙しい。

人々が揃って同じ未来に向かって過ごすのが今の時期なのである。

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2009年12月28日

私達にとって年の瀬であるこの時期だが、子供達には「冬休み」なのだ。

初めてのアルバイトが私はこの「冬休み」だった。

高校一年生の冬休み、近所の仕出し屋さんの張り紙を見て冬休みだけのアルバイトとして入ったのだったが、粉わさびを練ったことやキャベツの千切り機というものをはじめて見たこと、あと慶事の配膳について行ったり・・・・と、短い期間で見聞きしたものは大いにあった。

200個ぐらいのお弁当箱を洗ったのも初めてだったし、それを拭いた布巾を100枚ぐらい洗っていたっけ。家での手伝いもしない私が一気に大量の片付けを黙々としたこともアルバイトならではのことだ。

それからいくつものバイトをしたが、それぞれそこでの仕事の効率のいいやり方みたいなものがあった。きっとそこで覚えたコツみたいなものは、その後の全く違う場面で何かしら応用として使っていたりするのだろう。

初めてのバイトは時給450円だった。当時郵便局でのバイトよりちょっと高い時給だったんじゃないだろうか。

今日もどこかで。

アルバイトデビューをした子達が奮闘しているかもしれない。

「あのぅ、バイト募集してますか」

ドキドキしながらガラス戸を開けた日のことを、懐かしく振り返ったのであった。

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2009年12月29日

「火の~用心」

「カチン、カチン」

「マッチ一本、火事のもと」

夜、部屋に居たら拍子木を鳴らしながら東の道路を歩いて行くのが聞こえた。

あぁ、もういよいよ年末モードなんだわ。

こういう古くからある慣習が今も自分の住んでいる所にあることに私はなごむのだが・・・・。

犬は違う。

夜に叫び声や音を出しながら歩く男の人は「悪人」以外の何者でもなく、いつも以上に威嚇吠えをするのだった。

「ダンボ、違うよ」

「これは大丈夫」

「火の用心だから」

犬にそんなことを言ってもわかるわけはなく、より一層怒りが増したのか更にすごい形相で吠えていた。

静かな夜に響く声。

寒い中、ごくろうさま。

私も気をつけて。

戸締まり火の元オッケーで、そして今日もそろそろおやすみなさい。

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2009年12月30日

Jam for joy vol.50に参加した。

最近は参加するみんなにまた会えるのが楽しみなのだ。やっぱりクラス仲間が出来たみたいな感じがする。

沢山の参加者が居るので、数曲演奏をしても一緒演奏をすることがない人もまだ沢山居る。少し前に家に届く曲順表を受け取ると「今回は誰と一緒にどんな曲をやるのかな?」と、選曲以外のメンバーのカップリングにもワクワクする。クラスの中の席替えで誰と一緒の班になるのかな?というのと同じだ。

あの子と一緒の班になって・・・。

で、その次はあの子と。

あ、この人とは初めて一緒になるなぁ。

もちろん選曲会ミーティングもあるので「この曲をやりたい」「誰々さんと一緒に演奏したい」というリクエストも出来るのだが、逆に決まるまで楽しみにして待っているのがいいという人も居るので、参加の仕方もいろいろだ。

東京に拠点を移して活動を始める頃、人や街に気後れして自分が馴染んでいけるのかとても不安に思っていたのが昨日のことのようにも思えるのに、あれからゆっくりと私にも仲間が増えた。

みんな今年はいい年だったかな。

私も振り返ればやっぱりいい年だったのだと思える。

沢山の人と交差して、自分の歩く道は作られて行く。出会いと再会という機会はあまりにさりげなく日常に用意されていて見落としがちだが、人は一人であって一人でないというそのラインをどこに設けて行くのかで、人生の温度がまた変わって行くような気もしている。

2009年、さようなら。

ほろ酔いの忘年会で私も最後に笑って終われたことが何より嬉しかった。

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