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2010年03月 アーカイブ


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2010年03月01日

バイクで走っていたら、ダンボとそっくりなチワワを見かけた。

色も柄も目鼻立ちも、身体の大きさもそっくり。

速度を緩めて確認をする。

チワワとは思えないところもそっくり。

思わず嬉しくなってバイクを止めて散歩中の飼い主さんに声を掛けたのだった。

「ウチの犬がこちらのワンちゃんにそっくりなんです。」

あらまー。近くで見たらますますそっくり。血がつながっていると言ってもおかしくないぐらいで、「そっちは行かない!」という仕草も全く同じだった。

ダンボはチワワ規格から外れていて、お散歩中のチワワちゃんとすれ違うとあきらかに骨格が違う。これは・・・チワワですか?という質問は何度もされているので、チワワのことを私は本物のチワワちゃんと呼んでいるぐらいなのだ。

だがこのワンちゃんの飼い主のご婦人は、自分ん家の犬のことをそうは思っていないらしい。

「ウチのはめずらしい種類なんですよ。これ、メキシカンチワワって言うんです。」

メキシカンチワワ?

「あんまりいないはずよ」

しかし私には規格サイズを上回ったbigチワワにしか見えない。メキシカンチワワなんて、聞いたことがないけれど・・・。

聞いたことのない種類だが、じゃぁ、ダンボもメキシカンチワワってことなのかしら。

あっ。

それで思い出した。

まだ私が20代だった頃のこと。海外旅行先で犬売りのおじさんから「スミス」という種類の犬を買ってしまったことを・・・・。

もろもろ事情が重なって、犬は一緒に帰国出来ず空港で親切な人にもらってもらえたが、日本に帰ってからもその犬のことが心残りで犬図鑑で「スミス」について、ずっと調べていたのだ。

大きくなったらどんな犬になっていたんだろう。

スミスってどこの国の犬なのかな。

聞いたことがないけれど。

その後、いくら調べても「スミス」という種類の犬は存在しなかった。随分たってようやくある日「スミス」という種類の犬は居なかったんだということに落ち着いて、そうしたらちょっぴし悲しくなったっけ。

「メキシカンチワワ」はそれに近い匂いがする。

むむむむむー。

家に帰って「メキシカンチワワ」について調べてみた。

だって、もしも飼い主さんの言う「めずらしい種類のチワワなんですよ」というのが本当なら、ダンボはそのめずらしい「メキシカンチワワ」に間違いない。

が。

いくら検索をしてもメキシカンチワワという種類のチワワはなく・・・。

ちょっと笑えたが・・・・、ダンボそっくりのワンちゃんに出会えて私は嬉しかった。二匹を会わせてみたかったなぁと思ったが、散歩コースが若干違うエリアみたいなので、それは難しいだろう。

これからダンボのことを私もメキシカンチワワと呼ぶことにしよう。

<ダンボ、ただいま〜>

種類なんてどうでもいいダンボは今日もお日様の当たる場所を探してのどかにくつろいでいたのであった。

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2010年03月02日

日の高さがだいぶ変わってきたなぁと思っていたが、それに伴ってやはり日が暮れるのも遅くなった気がする。

一年を通して日の長さはずっと変化し続けているのに、それがよくわかる頃というのがあって、私はその時期が昔から好きなのだ。

日が長くなって行く時と、日が短くなって行く時の両方が好きだ。

なんだかしらないがワクワクする。

いつもは5時に聞こえてくる「ゆうやけこやけ」のチャイム。

ある日から6時に変わる、それに気づいた時も小さく胸躍る。

日の長さに対してこんな風にワクワクするのは、多分お日様がだんだん何かの記録を伸ばしているような錯覚を覚えるからなんだろう。間近でそれを応援しているような気がするからなのだと思う。

別にお日様は何かの記録を出そうとしているわけではないのだが・・・。

「だんだん」そっちに向かって記録を伸ばしている感じがなんともいい。

フレー、フレー、お日様。

すこ〜しずつ日々の日が長くなって行くのを感じる季節だ。

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2010年03月03日

誕生日を迎えた。

私が最初に生まれて最初にしたことは、大声で泣いたことだ。

でもその日のことは思い出せない。

人は時々、原点を忘れる。頑張ろうと思ったことや、反省して二度としないぞと誓ったこと、初心を忘れた時は、必ずいびつな自分になっている時だが、そもそも生まれた時のことを覚えていないのだから、それが人間ならではの流れなのかもしれない。

基本的に人は変われない。
と、思う。

だが変わるときは、あっさり変われる。
とも思う。

私は両親の価値観のもとで育った。

だから自分の種の部分に加え、私は両親の価値観で作られた。

多分それが個人としての一応の輪郭になり、自分のパーソナリティはある程度出来上がった。

そこから変わるのは難しい。

自分を変えたいと思っても、そう簡単に変われる人は居ないし、傍目に変わったように見える人が居たとしたらそれはやや違和感を感じる「あの人、変わったね」になるのだと思う。

人は多分自分一人では変われない。

誰かの価値観に感動をして、それを機に変われる可能性があるだけだ。

人生は人と繋がって、そうして紡がれていくものなのだと思う。

誕生日には、自分のも友人のもその日はどんな日差しの日だったんだろうと想いを馳せる。

不思議といつもその季節の晴れた日の景色が浮かんでくる。

時々、これといった大きなダメージがあるわけでもないのに、自分のことがイヤになったり、今やっていることに意味があるんだろうかとブルーに落ち込む日もある。

でも、そんなときはまた一番最初を思い出そう。

暗い暗いトンネルの向こうには、自分の存在を心から待ってくれた人が居たということを。

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2010年03月04日

ドラッグストアに入ったら「ゴキブリレストラン」という商品が目に入った。

うげっ。

私はパッケージにゴキブリの絵が描いてあるのを見るだけでどんよりするのだ。歯磨き粉を買いに入って無防備で居たところに、いきなりパンチをくらったようなダメージ。そのパッケージには本当にレストラン風のお皿とナイフとフォークが描かれていて、余計に私の頭の中では想像力が増してしまい気持ちが悪くなったのだった。

商品を売るためのアイデアは、時に気分を悪くすることがあるのだ。

先日もご飯を食べながらテレビを見ていたら、鼻炎の薬のコマーシャルで初老の男性の鼻に蛇口がついていて、そこから水がジョボジョボと流れている映像が流れて、一気に食欲が失せた。鼻が蛇口になってそこから水が垂れるというのは、ある人にとってはナイスアイデアかもしれないが、少なくとも私にとっては生理的にダメだった。以来、あのコマーシャルを見つける度にチャンネルを変えて、ダメージを受けないように身を守っているのだ。

無防備に店内を歩けるって素晴らしい。

無防備にテレビを見れるのは素晴らしい。

レジを終えたら超高速で店を出た。

別に・・・・忘れ物をしたわけではない。
次に行くところがあって急いでいたわけでもない。

誰もそうだとはわからなかっただろうが・・・・

ただただ、「ゴキブリレストラン」のイラストが怖かった私なのであった。

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2010年03月05日

ここ最近はずっと寒い日が続いていたが、今日は春が本格的に来たという程の陽気だ。

今日の東京はゴールデンウィーク頃の気温にまで上がったので、上着を軽くして、私も今年初めて素足で出かけたのだ。

収録帰りに百貨店に寄り道をするいつものコース。店先の品物がカゴバッグだったり薄手のワンピースだったりと、今日の暖かさにピッタリの春物だ。

は〜るが来た、は〜るが来た、どこに来た。

今日は多分まだ春はやって来ていない。

今日は・・・・おそらく・・・・
下見にやって来たのだ。

下見隊が帰って、それで準備をしたらあらためて訪れるという順番だ。

春がもうすぐ日本に旅行にやって来る。

次から次へと旅行者がやって来るのだから、日本はきっと美しい国なのだと思う。

だからせめて
空き缶や、煙草を捨てたりしないでね。

私もどこかにブラっと行きたいなぁ。

渋谷の街に、薄い水色の春の空が遠くまで架かっていた。

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2010年03月06日

関西の友人2人と今日は久しぶりに再会をした。

Aちゃんとは何年かに一度のペースで会っていたが、Kちゃんとはもう10数年ぶりになる。

Kちゃんは去年引っ越して、今は東京に住んでいるのだそうだ。

出会った頃は、3人共同じ音楽講師をしていたっけ。

それから全く違う道をお互い歩いて来て。

いろいろあったよね。

人が生まれて死ぬまでに出会う人とは、偶然ではなく必然の縁があるのだそうだ。

たった数時間会ってその人と一緒にご飯を食べるだけで、不思議なぐらい自分をリセット出来ることがある。

確か・・・・

私、最近何か悩みを抱えていたような気がするんだけど・・・・。

何だったかが思い出せない。

ま、いっか。

旧知の友人との再会は、いつもこんな気持ちになれる。

話に花咲く午後だった。

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2010年03月07日

朝のテレビで、クッキングトイの紹介をしていた。

クッキングトイとは「料理が作れるおもちゃ」だ。”わたがし”が作れたり、ハンドルを回すだけで綺麗な形の餃子に仕上がったり、最近のものだと生パスタやそばも作れる。おもちゃとはいえ、出来上がりも本格的な食べ物になるからすごいのだ。

私が子供の頃にも、クッキングトイが流行った。

「ママレンジ」というもので、恐らくこれがクッキングトイのハシリだったのではなかろうか。

コマーシャルで「マ〜マ〜レンジ、ママレンジ〜♪」という歌が流れ、私も買ってもらってよく遊んだっけ。まぁ、お料理と言ってもこのママレンジで出来るのは小さな付属のフライパンで焼けるミニホットケーキぐらいだったのだが、それでも本当にプク〜っと生地が膨らんでホットケーキが焼けると感動したものだった。

ママレンジでホットケーキを焼いた時の独特の甘い匂いは、今でも思い出す。今、料理がそれほど好きでない私でさえ、ママレンジで遊ぶのは楽しかったのだから、男子にはわからない女子ならではのDNAを刺激するおもちゃだったのだと思う。

あれから、クッキングトイも随分進化した。

ソフトクリームメーカーにたいやきメーカー、それからマカロンや生キャラメルを作るクッキングトイもあるのだそうだ。生パスタマシンならおもちゃではないものが売っていても、このマカロンや生キャラメルはクッキングトイを買わなければ、自宅で作れないかもしれない。

”料理”と言いつつも、理科の実験とあまり変わらないことをやっていたと思うが、フラスコだとたいして楽しくなかったものが、フライパンだと楽しかったのは、そのあとで「食べる」という楽しみがあったからなのかもしれない。

基本的には家で遊ぶものなんだろうが、電源が要らないものもあるのでキャンプや海でも使えるかもしれない。おもちゃの域を越えているおもちゃ。バーベキューぐらいの楽しさがあるクッキングトイなのだ。

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2010年03月08日

電車に乗っている時のこと。

前に座っていた男性が本を読んでいた。

電車の中で本を読む人は、割とカバーをかけていたりするので、何の本を読んでいるのかがわからなかったりするのだが、この男性は向かい側の私にでもタイトルがわかる単行本を読んでいたのだった。

「集中力」というタイトル。

しかし、おかしいのはこの本を読んでいる男性が落ち着きがないことなのだった。

私がこの男性の存在を認知したのが、そもそも”なんだか前に座っているヒト、落ち着かないなぁ”と思って視線をやったことがはじまりだったのだ。落ち着きのない子供みたいに、ジっとしていられない。本を読み始めたかと思うと急に顔を上げてキョロキョロと周りの人を見たりしている。何か気になる人でも居るのかと思ったら、そうでもない。車内は至ってフツ〜なのだ。マナーの悪い人がいるわけでもなく、悪臭があるわけでもない。よくある音楽の漏れもない。

男性は「集中力」をまた読み始める。

でも1ページも読まないうちに、また本を読むのに飽きたような感じで顔を上げているのだった。

<集中力をつけたくて、買ったんだよね>

<だったら、もうちょっと頑張ろうよ>

本を車内で読む時はカバーをかけた方がいいということが、今日は私もわかるような気がしたのであった。

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2010年03月09日

部屋の中がなんだか冷えるなぁと思っていたら、外は雪に変わっていた。

3月になっても三寒四温どころか寒い日の方が多くて、今日はまた冬に戻ったような寒さになったのだ。

この家は玄関のドアに少し透明な部分があるので、雪が積もると夜でもそこだけが明るくなる。

夜になって、少しだけ玄関のドアを開けてみた。

短い時間で思ったより積もっていた。

「ダンボ、雪だよ」

ダンボを呼んで、めずらしい雪を見せる。ダンボは雪をどう認識しているのかわからないが、興奮して雪の中に飛び出て行くことはなく、しばらく無表情に見て、その後関心がなさそうに戻って行った。

部屋に戻るとダンボはヒーターの前でくつろいでいる。

この辺りの動物は、歌にあるような”犬は喜び庭駆け巡り、猫はこたつで丸くなる”ではなく、むしろ逆なのだ。近所の猫は寒くても毎日外を元気に探検しているし、犬は家のあたたかい場所を探して移動をしている。

雪が積もると地面がまぶしい。

明日になれば東京の雪は、きっと溶けてしまうのだろう。

雪がめずらしい所で自分は育ったのだなぁと思う。

足元が白一色になると、雲を下に高い所に居るようなそんな錯覚を時々抱くのである。

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2010年03月10日

伊勢丹の吉祥寺店が、今度の日曜日で閉店となる。

伊勢丹吉祥寺店は、私にとって思い入れのあるデパート。それだけに閉店は寂しい。

私の子供時代には、練馬に母方の祖母の家があり、善福寺公園の近くには従兄弟の家があった。なので、一年に一度は母と妹の3人で学校の休みを利用して東京に遊びに来ていたのだった。

東京の景色は子供の目からしても大都会だった。

新幹線で東京駅に着くと「黄色」「オレンジ」「水色」「黄緑」と、いろんな色の電車が行き交っていた。レールの数が多く、ホームもたくさんある。電車に乗れば今度は線路のすぐそばに雑居ビルがずっと連なっていて、それから走っても走って線路沿いに家がひしめくように建っていた。

家の近くでは見かけないようなファッショナブルな大人や、職業不詳的な人も居て、聞こえてくる会話のイントネーションは「賢そう」な感じがした。

東京に遊びに行くと、大抵は祖母の家に数日居て、その後1〜2日ぐらい善福寺の従兄弟の家に泊まるというパターンだったが、従兄弟の家がまた文化の匂いのする家だったので、家の中にあるおもちゃや本など、私にとっては洗練された感じに映ったのだった。

叔母の家では、「おばあちゃん」のことを「おばあちゃま」と呼んでいて、言葉使いとしきたりが我が家とは違っていた。例え妹と私が遊びに来ていても「特別」はなく、従兄弟達には「勉強の時間」が、そして私達にも「宿題をする時間」があったし、ご飯の時もテレビはもちろん見せてはもらえなかった。そんな厳しい叔母だったが、善福寺公園と吉祥寺に遊びに行くのには従兄弟のひろくんをお供にしてよく送り出してくれた。

「伊勢丹にでも行ってらっしゃいよ」

叔母の品のいいしゃべり方と東京の人独特のイントネーションで、いつも私は「伊勢丹」という単語を聞いた。こうして私は、東京の祖母の家に行った時には必ずと言っていい程「伊勢丹」を訪れていたのだった。

あれから時が流れ、周りの店は軒並み変わった。

唯一、「伊勢丹」だけが、私の子供時代と現在の吉祥寺を共有出来る存在となっていたのだった。

吉祥寺店がなくなった跡地にはH&Mが入るのだそうだ。

H&Mかぁ・・・・。

別にH&Mが嫌いなわけではないが、重みが随分違って感じた。

伊勢丹は東京の象徴だった。

目に見える形では、時を越えてつなぐものがなくなる。

東京タワーと同じぐらい、伊勢丹は都会の東京を表す存在だった。

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2010年03月11日

かたつむりを見つけた。

近所の家の門のところに。

先週もここに居たっけ。

先週の位置からはほんの少し移動しているから、多分生きているんだろう。

でも、それにしても動かなさすぎてはいないかい?

”6月の梅雨頃にあじさいの近くに居る”というイメージがあまりに強く、だが寿命は1年ぐらいあるそうなので、かたつむりを見かけることは無いことではないらしい。

一匹だけ、門の壁のところにひっついているかたつむり。

キミの探しているあじさいはね、ようやく新芽を出したばかりだから、多分まだ上手く見つけられないと思うよ。

今年も啓蟄を過ぎて、虫達が起きだす頃となった。

私が見つけたのは、きっと冬を越えた強運のかたつむりなんだと思う。

どこを探しても、あじさいがなかったらうちにおいで。

青いあじさいが今年も芽を出したから。

あじさいの咲く季節まで、まだもう少し。

ちびっこにつかまえられないようにするんだよ。

決して強くはない生き物が、粘り強くそこで生きている。

冬の向こうには春がある。

また会おうよ。

小さなかたつむりが門にひっついていた。

ただそれだけのこと。

だがそれは素晴らしいことだ。

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2010年03月12日

3月の初め頃から、なんだか身体が重いなぁ・・・と思っていたのだ。

気温の差が激しいから、身体がついていけていないのかなと思っていたのだが・・・。

そうではなかった。

昨日、久しぶりに体重を計ってみたところ、今までになく太っていたのだった。

つくづく自分のことを自己中心的だなと思うのはこんな時だ。数字を最初に見た時、体重計が壊れたという風に私は思うみたいで、それから3回程計ってみてようやく現実を受け止めた。

若かった頃は、どれだけ食べても48kgをキープしていて、自分は体重は増えないものだと思い込んでいた。今では常に浮き輪をしているような不思議な体型になり、なんといっても太ももがプルンプルンするようになったではないか。

一番体重が増えたのは数年前、お正月のお餅を食べ過ぎてこの時は10キロ増になったが、今回はそれに近い数字・・・。ダンボが二匹私の身体にひっついたようなもので、そりゃ身体も重くなるわと体重計を遠ざけて過ごしてきたことを今さらながら後悔したのだ。

ダイエットというのは、減量に燃えるよりも毎日体重を計ることが大事なのだそうだ。これが自己管理を意識させ、暴飲暴食を自制することになるらしい。去年体重を計っていた頃は、体重も大幅に減りはしなかったが、一気に増えることもなく、私の身体に居たダンボの数も1匹以下だった。

大好きなスイーツを食べ続けていたら、妊娠してもいないのに一歳児が私の中で育ってしまった。

ところでこの一歳児ちゃんは私の身体のどこにいるんでしょうか。

数字を物に置き換えると、ギョっとする。

テレビって何キロあるのかしら。
パソコンだと、私何台分持っていることになるのかしら。

今日からまたダイエットを始めよう。

スーパーに行って5キロの米袋が重くて持つのも大変だと言いながら、それ以上の物を身体の中に入れて駅の階段を上がっていたとは・・・・。

はぁ〜あ。
よっこらしょ。

この時期、身体が重いのは季節の変わり目のせいではない。本当に体重が重くなったからなのである。

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2010年03月13日

「臭いものに蓋をする」方式で、体重計に乗るのをやめて体重管理をおろそかにしていたら、いつの間にか太っていた。おそらく、なのだが、私と同じようなパターンを踏んでいる人は私と同じ失敗に陥るであろう。久しぶりに乗ってみて、「あらやだ、私ってナイスバディなのね」という数字が出せるということはまずない。

数字というものは仕事でも体重でもなんでもかんでも、相当な努力をし続けてようやく「まずまず」な結果に持っていける、かもしれない、とそれぐらいのものなのである。そういった努力もなく久しぶりに再会しに行って歓迎されるわけがない。エラいショックな数字を突きつけられて打ちひしがれるという法則にあるのだ。

しかし、体重計に乗るようになって三日目。数百グラム減っているが、私にとっては大好きなスイーツをやめて三日も経ったのに、数百グラムしか減っていないのは非常にキツい。

<もう、やめようかな。ダイエット>

<思い切り好きな物が食べたい>

<それに、太ったところで>

<私の毎日には大差ないわ>

<恋愛中でもないし>

早くも心が折れそうになってきた。

私のささやかな楽しみは美味しいパンとプリンを食べることだったのだ。普段お酒を飲むわけでもなく、たばこも吸わない。刺身も買わないし、エンゲル係数は低い家なのだ。これでカロリー制限でひからびたおかずの毎日になったら、日々がひからびた感じがしてしょうがない。現にひからびたおかずを食べて3日経ったが、だんだん心がひからびてきたのだ。

本日、何度も何度もキッチンに行っておやつに手を伸ばしては思い直して部屋に戻っている。

<食べる、食べない、食べる、食べない・・・>

我が家のおやつ達には今、相当な私念が入っている。

来客者に出したら、食べた人がお腹をこわすんじゃないかなと思うのであった。

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2010年03月14日

近くの緑道の梅が咲いた。

同じ種類の木達は、示し合わせたかのように一斉に咲く。

梅は花柄がなく、花びらの先は丸い。
桃は花柄が短く、花びらの先が少し尖っている。
桜は花柄が長く、花びらの先が割れている。

遠目ではわからなくても、近くに行って見ればどれがどれかわかるようになる。

品種もあるので、いちがいには言えないが、東京では梅が一番に咲く。

梅はコロンとしたイメージだ。

枝にくっついているので、風が吹いても桜みたいにしならない。

いつもコロンと枝についている。

動きがないのでしなやかに見えず、それが少々ヤボったく見えたときもあったが、今は枝にブローチみたいにひっついている様が、なんとも可愛いなと思う。女の子に例えたら、フェロモンを放つタイプではないけれどあっけらかんとした明るい娘といったところだ。

実家の庭にも梅の木がある。
ウグイスがこの梅の木によく止まって鳴いていた。

母がよく実を拾って梅酒を作っていた。

は〜るよ来い。は〜やく来い。

梅が咲いたら、次々に花達が目覚める季節になるのだ。

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2010年03月15日

地下鉄の駅で電車を待っていたら、偶然Nくんとバッタリ会った。

Nくんは数年前に先輩の紹介で知り合ったエンジニアさんなのだが、家はどこなんですかという話からお互いの家が徒歩5分程の距離にあることを知って驚いたのだ。いつも私が行くスーパーの道中にNくんの家はあるので、本当にそのうちに会うんじゃないかと思っていたが、いつも買い物に行く時の私の格好は、すっぴんに加えそれはひどいものだった。なので、もしかしてすれ違ってもわからなかったかもしれない。

しかし、バッタリはある。

普段私は小雨ぐらいなら、駅までバイクで出かけている。東高円寺にバイクの駐輪場のあるので、いつもはそちらを利用していて、最寄り駅はバスで出かけた時に利用するぐらいなのだが、今日はたまたまバスで出たのだった。そして改札を入るといつもはホームの人が空いているところにフラフラと歩いて行くのだが、この日に限ってこれまたなんとなく改札を入ったすぐの所にボンヤリ立っていたのだった。

Nくんも、仕事でたまたま今日はこういうルートで出かけるんだということだった。改札を通ったら目の前にボ〜っと立っている私を見つけたんだろう、声をかけてもらってそのまま一緒に赤坂見附まで行ったが、やはりいくらご近所で会う可能性があるとはいえ、思わぬバッタリ会うというのはめずらしいことなのだ。

<もしかして>

<この人が王子さまなのかしら>

<そう言えば、去年も先輩の家で一緒に年越しソバを食べたわ>

胸きゅん!

しかし。

話を聞くとNくんにはもっとバッタリ会う人が居るらしい。どうしてこの人とこんなに会うんだろうと思うぐらいの遭遇率だそうだ。

残念だが、私のカンではおそらくNくんはこの人とつきあうことになるであろう。

私も そう言えばバッタリよく会う人がいる。
斜め前の家の独身のおじいさんがそうだ。

「それじゃ、またね~」

赤坂見附に着くと王子は電車を降りていった。

「バッタリ会う」というのは不思議なもんだ。ものすごい大恋愛を3秒間ぐらいで駆け抜けたぐらいのエネルギーの出入りが起こる。ビックリしやすい体質の人ならこの感覚はわかっていただけるかもしれん。

しかしさすがご近所さん。

近所に出来た肉汁うどんの店の情報を知っていた。

「あの店、一回行ってみよう」

まさかの肉汁うどん情報を得ることとなった「バッタリ」であった。

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2010年03月16日

今日は学生時代の後輩、Kくんが東京に来ているということで久しぶりに夕飯を一緒に食べた。

いつも思うのだが、東京にたまにやってきた友人達は、住んでいる者からすれば信じられないような行動力を発揮する。Kくんも前日に都電荒川線に乗りその後浅草に行き、それから埼玉の大宮に行ってそれで帰って来て新橋で人と会ったらしい。そしてその日は品川で泊まって、今日は鎌倉に行ってお寺めぐりをしたあと、また都内に戻って来て私の家の最寄り駅に来たのだった。

それで、今日は私と食事をしたら夜行バスで三重に帰るのだそうだ。信じられない。パックのバスツアー並みのスケジュールである。私の場合、まずお出かけは浅草なら浅草だけで終わる。この間都電荒川線に乗りに行ったが、それだけで一日分のエネルギーと時間は使い果たした。それでも周りには行動範囲が高円寺のみという人もいるので、私は出好きな方なのだ。

Kくんとは数年に一度ぐらいの割合で同窓会や何かしらで会っているので、会っている頻度は比較的に高い友人だ。今は学校の先生をしていて、職場に行けば年下の職員さんたちもいるだろうし、それなりにエラいみたいなのだが、どうしても私には想像がつかない。だって同窓会に来れば呼び捨てで呼ばれて使いっ走りの役だ。結局私は後輩の姿しか見る機会がないので、未だに教壇に立っていること自体が信じがたいことなのだ。

しかし、昔の友達というのは面白いもので、同じ思い出を共有しているかと思えば、お互いの覚えていることがそれぞれ違っていて、話をしているとKくんが覚えていることを私が全く忘れていて、そうかと思えば私が覚えていることをKくんが覚えていない。思い出というのも、人によって景色が違ったりするのかなぁと思ったのだ。

偶然は重なるもので、Kくんとご飯を食べている時に学生時代の同じサークルだった今度は同級生からメールが届いた。来月東京に行くからご飯でも食べようよという連絡で、3月になってからこんな風になかなか会えない距離の友人と東京で会う機会が増えている。

東京は住む町になってしまうと、なかなか遊びには行かなくなる。

はとバスツアーに水族館、プラネタリウムに東京ディズニーシー、一人で行くのはちょっと寂しいかなぁと思ってなかなか行けなかった場所は、東京に遊びに来る友人と出かけるのが丁度いいのではないかと思うのであった。

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2010年03月17日

チラシを見ていると、”@@応援キャンペーン”、”@@フェア実施中”という文字が目につく。まぁイベント期間だからこそ、広告を出しているのだと言えるのだろうが、どうも私は”キャンペーン”、”フェア”、”セール”という単語に弱いみたいで、気がつくとフムフムと読みふけっていることが多々あるのだ。

家を建てるどころか土地もないのに、「春の注文住宅キャンペーン」のチラシを見ていたり、フィットネスクラブの「今だけ入会金ゼロ」を見て「やっぱりこういう所に入ろうかしら」と思う。さすがに家庭教師のチラシは自分には関係ないものと認識するが、洗顔石けんに家電製品など私の心は引っ張りだこになっている。

中でも最近好きでよく眺めているのが、この春から新生活を始める人達に向けての日用品チラシだ。お風呂場4点セットや掃除機など生活家電のセット、スリッパやマットなどのセットetc・・・・。私の場合、アイテムとしてはもう持っているものばかりなのだが、何故かこういう新生活セット物のチラシを見ると、自分もこれから新しい生活が始まるような気分を味わえるので楽しくなってくるのだった。

それにしても、値段の安さには驚く。

スチームアイロンが970円。

コーヒーメーカーも970円。

IKEAの影響なのか、最近は他社も見た目も割とお洒落なグッズを安く出すようになってきたので、「安い」という面から見ても楽しい。

雑貨本の延長線上にこれらチラシがあるようで、だから女性はこういうチラシは好きなんじゃないかなと思う。

現実の私の今後あり得そうな「新生活」は、「大学生になる」でもなく、「結婚する」でもなく、「普通に引っ越し」ぐらいしかない。しかし、そのふつ〜のお引っ越しも今年はその予定もない。

特にイベントもない生活の中、新生活キャンペーンチラシは私にとって、疑似引っ越し気分を味わえる楽しい夢の紙なのである。

Posted by 吉川みき 2010年03月17日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2010年03月18日

もしも何かの天才になれるのだとしたら。

人生の天才になれるのがいいなと思う。

自分のことを基本的に好きでいられることや、身近なものやことを楽しい視線で見られることだったり、何か困ったことが起きたとしても、そこからまた光を見つけることが出来る。

建設的な人を尊敬する。

人生の成功という言葉はよく耳にするけれど、こんな曖昧なものはない。それがいいものなのかどうかについても、第三者から見ればいいものには見えるようだ、としか私にもよくわからない。

何かの天才になれるとするのなら、人生の天才になるのが一番だ。

天才が無理でも、努力を続けたら多分秀才にはなれる。

大きくなったら何になりたい?とは、もう尋ねられなくなった。

人生の天才。

探せばきっと居る。

私自身、あの人は素敵だなと思う人のことを思い浮かべてみたら、皆人生の天才だった。

Posted by 吉川みき 2010年03月18日 | | コメント (2) | トラックバック (0)

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2010年03月19日

駅前の辺りをバイクで走っていたら、多分配達中の人なんだろう。車道に止めてある車達の車道側を走っている男性を見かけた。

駅前付近の路上は、この辺の店に品物をおろす業者さんが一時的に車を止めるのだ。この人達は大概車を早く出すことに気を取られているので、たまにバイクの存在に気づかず運転席のドアを勢いよく開けられて思わずブレーキをかける、なんてこともある。だからこういうエリアではちょびっとだけビクビクしながら走っているのだ。

今日もその男性の走る様子を気にしながら後ろをバイクで走っていたのだったが・・・・。

<この車かな?>

<違ったか。じゃぁ、この車?>

<んん?ってことはあの車?>

男性は停車中の車をどんどん追い越して、駅前のガードをついに通り越した。

もう車の横の車道を200メートルは走っていると思うのだが・・・・。

まさか。

信号待ちのあとにまた進んで行くと、先の方を男性は走っていた。この人は仕事中の業者さんでも何でもなく、ただのジョギングをしている男性で、結局車道をそのまま渡って消えて行ったのであった。

ジョギングって車道を走ってよかったんだったっけ。

もう最近、横暴自転車に見慣れて来ているので交通ルールがわからなくなってきたのだ。

夜、今度はまた別の大通りをバイクで走っていたら・・・・。

やはり車道をジョギングしている男性を発見した。

何故かしら反射的にそぉ〜〜っと追い抜かしたが、一瞬マラソン大会中かと思ったのだ。自分が白バイに乗って先導しているかのような気分になったが、私のバイクは黄色である。全然違うじゃないか。追い抜かしてしばらくしたら急に騙された気になったのだ。

歩行者天国の時に車道を歩くあの特別な感じが、個人的には密かに楽しかったのに。

今ではいつでも歩行者天国になりつつある日本の道路なのであった。

Posted by 吉川みき 2010年03月19日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2010年03月20日

夜、ふと沈丁花の香りがするのに気がついた。

今日は朝から外に出ていて、外気に触れる機会は多かったのだが、ついさっきまではこの香りはしなかった。

どこに咲いているんだろう。

探してみたけれど姿を見つけることは出来なかった。

沈丁花は姿はそんなに美しい花じゃない。どちらかと言えば地味でヤボったい感じがする部類の花。だがその香りはとても優雅で魅惑的だ。

姿が見えなくても香りで、その花があるのがわかる。

まるで空気に漂うように。

沈丁花は空気に咲く花。

そっと夜にやってきた。

沈丁花が咲けば、それは春のしるし。

春は毎年香りからやって来るのだ。

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2010年03月21日

またプールに通うようになってから一週間が経った。

親子でプールにやって来る人が居るが、私がプールに通い始めてからのこの3年間で「お父さんと子供」「お母さんと子供」の場合、同じパターンにあることに気がついたのだ。

お母さんは子供とプールにやって来ると、まず子供から目を離すことはない。子供に手が届く範囲で子供が泳げるようになるのを見守っている感じだ。たまに自分の子供のころにしか目に入らずに周りの遊泳中の人との譲り合い精神を失っているママも居るが・・・・・、

私が思うに問題は「お父さん」だ。

お父さんと一緒に来た子供は、今まで私が見た限りでは1組を除いてみんな放ったらかしであった。一緒に居るのはプールに入った直後だけ。お父さんは最初は子供とプールに来ているという自覚があるのだが、集中力がもたないようで、そのうちに自分の興味のある方に行ってしまうようなのだ。そしてちょこっとだけ自分も泳いでみたくなり、そのちょこっとが面白くてそっちにのめり込んでしまう。唯一、お父さんがピタっとついていた1組は、既に泳ぎが上手い男の子に更にフォームの改善などの指示をしていたので、監督と生徒のような関係であった。

今日の「お父さん」も、子供を忘れて泳ぎに熱心になっていたが、本日はそのまま子供を置いて違うレーンに行ってしまった。一緒に居る時間があまりに短かったのでさすがに<あれ?親子じゃなかったのかな?>と思ったぐらいだ。女の子はプールの底に足も届かない小さい子だった。???と思っていたら、しばらくして女の子が<しょうがないなぁ>という風にパパの行ったレーンに一人で移動して行ったので、「あぁ、親子だったんだ」と思い直した程だったのだ。

どのお父さんも同じ。

子供が他所でタコ踊りをしながらプカプカ浮いている。

プールにはいろいろ注意書きがある。が、私は「お父さんは子供と一緒に来ていることを忘れないで下さい」の項目も増やして欲しいと思うのである。

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2010年03月22日

以前、HPに書き込みをしてもらって知った鬼子母神の手創り市に行った。

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境内に手づくりのグッズのお店がいろいろ出店していて、アクセサリーのお店に手づくり石けんのお店、ハンドメイドの洋服や帽子のお店etc・・・、可愛くて個性的な品物を置いているお店ばかりだ。お店の人が、きっとこれらの品物を作っているんだろう。美大生の学生さん風の女の子も居たりして、お祭りの出店とはまた雰囲気が全然違っていた。

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オリジナルの判子を作ります。というコーナーがあったり、陶器の器の店があったり、木を上手に削った器なんかも売っている。

「ハンドメイド」商品は雑貨屋さんでも見かけるが、ここで売っているのはみんな街の雑貨屋さんで見る値段より安い。

グルリと回って、衝動買いしたのは犬グッズとオリジナルのレターセット、買うものはやはり街に出た時と同じようなものしか買わなかったが、私の好きなテイストの手作りがあふれていたので、次回の市にも来たいなと思ったのだ。

品物を眺めていると、店の人達の会話が聞こえてきた。

都内で定期的に開催されている手作り市に出店をするのが職業になっている人も居るのだそうだ。雨が降るとこういう市はお休みになるから、困るらしい。「次は渋谷に出します」なんて会話がちょこっと耳に入って来たので、渋谷の方でもこういう市があるんだなぁということがわかったのだ。

楽しい手創り市。

今日は2時過ぎに自宅で打ち合わせが終わって、次は5時にまた家に戻っていないと行けなかった。手創り市が4時までだったので、今回はあきらめようかかなり迷ったが、思い切って行ってよかった。

可愛い雑貨を思いついてサササっと作れる人達ってたくさん居るんだなぁ。

寒かったけれど、置いてある品物達は「作ることが好きな人たち」の心が感じられてあたたかい感じがした。

梅が近くのお寺で咲いていた。

この次はもっと時間に余裕を持ってゆっくり回ってみたいなと思う、楽しい市だった。

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2010年03月23日

8キロ太ったのにショックを受けてから2週間。

カロリーコントロールにも真面目に取り組むようになったが、やはり水中ウォーキングと毎朝体重を計るというこの二つがダイエットに効果があると思うようになったのだ。

1時間の水中ウォーキングを始めたら、割と順調に2キロ体重が落ちた。

するとなんとなく身体が重たいのがなくなった。

私の場合、水中ウォーキングを始めると、3キロぐらいは割とすんなり落ちてくれるのだが、その後は横ばいで落ちなくなる。そう言えば去年もそうだった。変化がなかなか得られない時期が続くと、今度はふともうこのまま食べたいだけ食べて、だったらいっそ見た目も相当変化があるぐらいに太ってみようか、という「押してもダメなら引いてみな」的な考えが浮かんで来るのだった。

お店に入って、店員さんに「Mサイズでよろしかったですか」と尋ねられていたあれは、普通の確認の言葉だと思っていたが、店員さんにとって私はボーダーにあったということだったのか。

<本当の本当に、あなた、Mサイズって言っていますけれど、大丈夫なんでしょうね>

日本語は難しい。

相手がお気楽者だと微妙なニュアンスが通じない。

さぞ、空気の読めない客に映ったことだろう。

数年前、通販で買ったスカートが写真で見るのと全然形が違っていてガッカリしたが、体型が戻って履いた時に始めて、自分の身体のせいでシルエットが変わっていたのに気がついた。

痩せたら、新しい服を買ったのかと思うぐらい洋服のシルエットが変わる。

私はこの数年で、そういうことが言えるぐらい伸び縮みする身体になったのであった。

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2010年03月24日

春休みはいつもポッカリ穴のあいた感じのする休みだった。

日差しが柔らかくなって季節的には穏やかな時期。だがその分肌に感じる、風のほんの少しの冷たさが余計に印象に残る。

今度@年生。
この間まで@年生だった。

今の自分の位置があいまいなことが、少しはがゆかった。

後に大人になって触れるいくつもの「グレーなもの」の最初の「グレー」が、この春休みだったのかもしれないなぁと思う。

<なんだろう、この感じは。>

胸の中がどうも落ち着かずにムズムズした。

私は春休みには、あまり馴染めなかった。

唯一、宿題がない休みだったのに、それはあまり大きなプレゼントのようにも思えなかった。

春休みはあまり好きにはなれなかった。

遠い昔のことだ。

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2010年03月25日

信号待ちをしていたら、”自転車の傘さし運転や携帯電話をしながらの運転は禁止です”と書いた警察の宣伝カーが目の前を通って行った。

待っておくんなまし〜〜。

私にはもう一つ付け加えて欲しい禁止事項がある。それは自転車に乗りながらのイヤフォン禁止だ。自転車に乗りながら音楽を聴いている人は結構居る。だが、この中のどれぐらいの人かは、道路を走っていることを途中からすっかり忘れている、と思うのだ。

あなたの近くには車も走っているんですよ。歩行者も居れば、原付も居る。音楽を聴いていると多分それらの存在が希薄になるのではないだろうか。私はイヤフォンをした自転車人が見えたら、ものすごく警戒しながら走っている。だって、今までに何度もヒョイっと「なんで急にこっちの方に進路を変えたのだ!」と驚く形で目の前に出て来られたからだ。本人は音楽を聴きながら有意義に移動時間を使っているつもりなんだろう。だが実際は周りが見えていない迷惑者になっている。結果的にゲームの敵キャラぐらいこの人達は行く手を阻むので、本当に困るのだ。

傘さし運転と携帯電話がダメなら、音楽を聴きながら運転するのも、それから信号無視も、それから車道でマラソンの練習をしている人達も危険行為なのだ。

待っておくんなまし〜〜〜。

市民の声を聴いてくんなまし〜〜。

宣伝カーは信号待ちをしている間にブーーンと去って行った。

そしてまた今日も。

私の横をイヤフォン自転車がス〜っと通って、いつものように信号無視をして颯爽と去って行ったのであった。

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2010年03月26日

「ポチたま」の特番を見ていたら、番組の最後にお知らせがありますと言っていて、CMが明けるとサラっと「今日で番組が最終回となります」と突然挨拶があって、そのままあれよあれよと言う間に番組が終わってしまったのだった。

待っておくんなまし〜〜〜。

終わり?

最終回?

今日は普通に特番だったんじゃなかったの?

心の準備が全く出来ていなかった。

ただの番組なのだが、かなりショックを受けた。だって「ポチたま」は私にとっての癒し番組だったのだ。夕飯を食べたあとのちょこっと気分が緩むモードに、ちょうどほっこりした風を運んでくれる番組で、家に居る時は番組の時間に合わせて予定を立てるほどとっても楽しみにしていたのだった。

もうどんな素敵な恋愛ドラマを観ても、”自分に置き換えられなく”なったが、”ポチたま”は観る人を選ばなかった。疎外感なく<見においでよ!>と間口広く受け入れてくれていたのがこの番組だったのに・・・。

3月は番組の改編で最終回を迎える番組がある。

数日間見ていなかっただけで、キャスターの人が新しくなっていたりして何事もなかったかのように番組が進行していたりするので、一瞬自分が異次元に行って帰って来たSF小説の主人公かと錯覚するのだ。

かつて、自分がおしゃべりをさせていただいたいくつものラジオ番組達もこの時期に番組が終わって寂しいなという気持ちになった。「始まったら必ず終わりがある」あるプロデューサーさんにそう言われて、そうだと思いながらもやっぱり心はそんなに割り切れないまま、思い入れを整理出来ずに後ろ髪を引かれたものだった。

あれから今、HPを持ったり、ブログを書いたり、ネットラジオをやったり、それらを続ける根底にあるものは<自分がやめると決めるまで続けられることがやりたい>という想いから来ている。

自分のやっていることも、ある日終わったら寂しいと思う誰かがきっと居る。「終わる」経験を積んでいくうちに、ささやかでもいいから自分で決定権を持てるものをちゃんと持っていたいと強く思うようになったのだった。

だから今は本当にささやかだけど、この環境が気に入っている。

「ポチたま」が終わったら寂しかった。

いつか全てに終わりがあるかもしれないけれど、その終わりを何度も挑戦して越えたいなと、こんな時には思うのだ。

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2010年03月27日

フワフワ、フワフワ。

家の前に出ると紙のゴミが道端にゆらめいていた。チラシか何かかなと思っていたのだが、ダンボが家の中から飛び出てそれに食らいついたのだった。

フンガフンガ言いながら、ダンボがその紙をペロペロと舐めているのを見て、それでその紙がマクドナルドのハンバーガーの包み紙であることがわかったのだった。なんてめざといんだろう。この犬は家の奥から飛んで来て、まっすぐ紙包みに飛び込んで行ったので、最初から食べ物の包み紙だったことはわかっていたのだ。

「こら!ダンボ。やめなさい!」

ダンボを引き離すと、急にこの紙ゴミが憎らしくなってきた。

ハンバーガーを食べるのは勝手だが、紙クズは責任を持って自分で捨てて頂きたい。一体、誰がこのゴミを捨てて行ったのか。

ここは袋小路になっているので、ただの通りすがりの人は居ない。かと言ってこの辺りの住人がそんなことをするとも思えない。じゃぁ、誰なんだろう。やはり通りがかりの人間が捨てたゴミが風に飛ばされてここに飛んで来たのだろうか。

家の丁度真ん前にハンバーガーの包み紙はヒラヒラしている。

<んもう!>

<私は、拾いませんよ>

<拾いませんからね>

見えない敵に向かって宣戦布告する。知らない人が捨てて行ったゴミを、それもよりによってハンバーガーの包み紙を<あら、ゴミが落ちているわ>と素直にササっと拾えるほど私の心は広くなく、<私は知らないからね>と一旦は見捨てる傾向にある。

<知らない!>

と、思ったらまたスキを見てダンボが包み紙にダイブして、少しでも多くこの美味しいソースを舐めようと必死にフンガフンガやっていた。

最初に拾っておけば、ダンボの二度目のダイブはなかったのに・・・・。

結局、<私は知らないですよ>は10秒ぐらいで終わり・・・・。とほほな気分でゴミを拾う自分に変わっていたのであった。

知らない人の捨てて行った物の後片付けは今までにもあったが・・・・。

今日ほど、腹が立ったことはなかった。

私も食べたかった。

ダンボはちょっとだけ味わえた。

犬の様子からしても相当美味しい食べ物のようであった。

自分が食べていない物のゴミの始末は、バイトでもない限り腹が立つということがわかったのであった。

食べ物の恨みは恐ろしいのである。

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2010年03月28日

私が高校生の頃、トレーナーを裏返して着るのが流行った時期があった。

その日は自転車で走っていると向こうから歩いて来たご婦人に呼び止められたのだった。

「ちょっと、あなた・・・」

「はい?」

「裏返しになっていますよ」

親切にそう言ってもらったのだとわかった。だが、一方で<あ、おばさんには私達の流行がわからないんだわ>というジェネレーションギャップを感じたのであった。

あれから時は流れ・・・・、

今では<私達の流行がわからないんだわ>と、心の中で思われる側に立ったのだなとしみじみ思うようになった。

ドクロマークは相変わらず、理解出来ない。ドクロなんて不吉で気味が悪い。自分のドクロだけで十分である。そして、今流行の”ボリュームまつげ”メイクも、これは、やりすぎてムカデの足に似ているという風に捉えている。長い爪にネイルアートを施したものに至っては、指にひっついた飴細工だ。

だがもし今街でズリパン姿の人に「パンツ、見えてますよ」と、声を掛けたなら、声を掛けた方がおかしい感覚になるのだから、妙な話なのだ。

数年前、私はワンピースの後ろのボタンを留め忘れて、腰から下が全部開いた状態でいるのを知らずにパンツ丸見えで井の頭線に乗って渋谷まで行き、道玄坂を上がってライブハウスまで行ったが、気づいた時には最悪な気分になったのだ。「わざとだと思われているから大丈夫だって」と慰めてもらっても、立ち直れなかった。

だが、やっぱりそれが普通の感覚だと思っている。

昔、トレーナーを裏返して着ていたご婦人には奇妙に映った私も、今は奇妙な若者ファッションに目を丸くし・・・。しかし、今ズリパンを履いている若者達も、いずれ私の世代になる・・・。

その頃、ファッションは一体どんな妙ちくりんなものになっているだろう。

最先端のお洒落女子達は唇にナメクジでも這わせているんだろうか、全く想像がつかない私なのである。

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2010年03月29日

通販の雑誌を見ていたら、「風を通すレースの障子」という面白い物を見つけた。

障子と言えば「障子紙」しかないだろうという感覚だったが、これが障子紙ではなく通気性のいいレースの障子になるらしい。だから紙ではなく、生地ということになるのかもしれない。

ウチは和室がないので、試しに買ってみようかということにはならないが、網戸の季節になったら気持ちが良さそうだ。いろんなものを考え出すものだなぁと感心しながら他のページも眺めて行くと、今度は「水のたまらないサンダル」というのに目が留まった。これは底の部分に穴があいていて水がかかっても通すので、ベランダやお風呂場で使うのに便利な品物なのだそうだ。確かにベランダに出しているサンダルは雨の日のあとには水が溜まっている。ただ、私は汚れたら水洗いをして水切りすればいいかと、あまり気にしない方かもしれない。

次に目に留まったのは、排水口を洗う変形ブラシみたいなものだった。これは欲しい。ちょっとした細い溝の所のヌメリが上手く落ちないので、かゆい所に手が届く形のブラシは有り難い。ジューサーミキサーの刃の辺りの溝を洗うのも苦戦しているので、洗い終わったらそのことは忘れてしまうのだが、もう100回以上は「なんとかならないかしら」と思いながら洗っているのだ。

通販の雑誌や番組を見ていると、便利な品物がいろいろ紹介されている。

私自身”便利”なものは好きだ。が、それがあまり”時短寄り”の発想になると興味が湧かなくなるのかもしれない。ちょこっと自分が動けばいいことと、これは便利だなと思えることとの境目の微妙なラインが人にはそれぞれあるのだと思う。

「これ、不便で困るわ・・・」
「何かいいアイデア、ないかしら」

私は何かしらのことで一日数回はこのことを頭の中でつぶやいている。

それが終わるとまた忘れ・・・。それを毎日続けていて、それがもう何年も続いているので、えっと・・・・・・・。

地球は回る。
私の頭の中も繰り返し回っているのであった。

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2010年03月30日

痩せようと思ってから20日が過ぎようとしているのだが・・・・。

ここ数日で、痩せ率が止まってしまった。

運動をしたら、美味しいものが食べたくなる。なるのだが・・・ひからびたおかずで我慢して過ごしているのだ。が、それでも体重が減らないとなると、大好きなスイーツを断っているいらだちとせっかちな性格も手伝ってか、もうだんだんヤル気がなくなって来るのであった。

私は子供の頃、ゴボウのような体つきだった。なので、少しポチャっとした女性らしい体型にあこがれたものだった。特に二の腕はポチャっとしているのが女性らしい。そう思っていた。今そのあこがれの”ポチャ二の腕”になれたのだ。

だから、それでいいじゃないか。

しかし、どうも思っていた感じと違う。

女性らしいと思っていた”二の腕ポチャ”なのだが、自分の腕についてみると女性らしいというより「強そう」に見えてしまう。黒いパンツを履いてポーズを取ったら、長州小力になるんではないだろうか。

はふ〜〜。

好きなものを食べたいだけ食べて、どこまで太るかという方向に転換したくなってきたのだ。

かつてはバレーボール部で鍛えてかなりズッシリした体型になっていた頃もあったが、運動もしていないのにその頃よりうんと馬力のありそうな体に、今や成長したのであった。

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2010年03月31日

三重県の亀山市では、今年実験的に市内の小中学校の4月30日を休みにして、ゴールデンウィークを7連休にするのだそうだ。

これで学校が休みになった場合、親がどれだけ休暇を取れるかということを調べるらしい、ニュースでは「ゴールデンウィークが7連休になったら嬉しい?」と子供達にインタビューをしていた。

だいたいこういう時に使われるインタビューは「嬉しい」という返事のものだけになる。インタビューの編集の仕方も無理矢理こじつけて、その部分だけを抜き取っていることもあるので、あまり信用していない。だって私だったらあまり嬉しくない。「仕事が休みで7連休」だったら嬉しいが、私は学校が好きだったから、ゴールデンウィークや日曜日はたいして嬉しいものではなかったからだ。

だがインタビューに答える子供達は、長い休みが嬉しいらしい。

インタビュアーに「お休みになったら何をしたい?」と聞かれると、「遊びに行きたい」「ディズニーランドに行きたい」といった答えが戻ってきていた。

しかし、

一人だけ小学校低学年らしき小さい男の子が「家でゴロゴロしたい」と答えていた。

これにはちょっと笑えた。こんなに小さい子供が、休みの日は家でゴロゴロしたいという持論を持っているのだろうか。恐らくこの子はお父さんのことをいつもよく見ているんだろう。ここの家では休みの日になると、パパが「休みの日は家でゴロゴロするのが一番だ」と言っていて、どこにも連れて行ってもらえないうちに、そんなものなんだと達観したのではないだろうか。

子供の学校が休みになったからと言って、そんなに親は簡単に休みが取れない事情にある。せっかく平日に学校が休みになったけれど、家で寂しく一人で過ごす子供が増えただけの休みにならなければいいなと思う。

ゴールデンウィークはのどかな晴れが似合う頃。

私も平日の電車に揺られて、また”あてもなく出かけてみようツアー”を実施したいのだ。

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