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動物との暮らし アーカイブ


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2006年01月05日

私も小鳥を飼いたい。

小学生の頃、母に申請をしたがあえなく却下された。

そこでどうしたか。
スズメを捕まえてきたのだった。

弱った子スズメを拾ったのだ。

母はあきれていた。

<私のもの!>

その日からスズメは自分の宝物になったが、箱に入れて飼っているうちにやがて毎日親スズメと思われるスズメが会いに来る様になった。

「返してあげなさい」

自分も「返してあげなくちゃ」という気持ちになっていたのに、先に母が言うと何故か反発心が起こった。

「返さない!」

意地になってそう言い、親スズメと子スズメの面会を見ながら心が揺れた。

スズメを飼ってはいけないという説明ではなく母がもう少し大人の包容力で、私が返しやすくなる何か言葉をくれたら、もっと子スズメを返してあげるまでの時間は早かったかもしれないなと今は思う。

子スズメを放った時、寂しかった。
でも重たい気持ちが消え、何故かしらホっとした。

以降スズメは捕まえないし、食べたこともない。
私には永遠に自由が似合う鳥のままだ。

夜、父から電話がかかってきた。

「なんか、産まれたみたいやで」

なんかって・・赤ちゃんじゃないか。

妹に男の子が産まれたらしい。
上が女の子3人だったから、念願の男の子だったんだろう。

こうのとりが運んで来たのだ。

父は嬉しそうだった。

近くの公園では。

めずらしい白鳥が飛来しているようで、ニュースで取り上げられたせいか多くの見物人が公園に来ているらしい。

いつまでいるのかなぁ、

その時期が来るまで、なんだろう。

鳥は自由がいい。

どこに行くの。
どこに行きたいの。

待っている人の所へ、鳥はたまにアンテナをきかせて
飛んでいっているのかもしれない。

あのスズメの親子は、母よりもわかりやすく
私に親子の愛の大きさについて、上手に教えてくれた。

Posted by: 吉川みき 2006年01月05日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2006年01月16日

イタチは好奇心旺盛な動物、押し入れやドアを開けたりすると「中がどうなっているのか」が知りたくなるらしい。トイレに入った時は外でずっと待っている。押し入れは私が物を出している間にスキを見つけて中に入ろうとする。制止出来ずに中に入られてしまうと、なかなか奥から出て来なくなって、探検をしているだけならまだいいが、そのままもぐりこんでそこでちょっと休んでそのまま眠ってしまうこともあるのだ。

お風呂場も興味津々の場所。特に人がお風呂に入っている時にはドアを隔てた向こう側に物音がするのが気になるらしく、「中はどうなっているの?」と外から「開けろ開けろ」とアプローチをしてくる。

今日はゴン太が訪ねて来た。

「こんにちは〜」

いつもの様に「ねぇ、何してるの?」という表情で、私を見上げている。

フェレットはラッコやかわうその仲間で、本来は水が好きなのだそうだ。泳ぐのが得意だということを聞いていた。が、どうしてかうちの二匹も友人の家のフェレット達もほとんどが水嫌い、お風呂に入れたりでもするとそのあとは暴れフェレットと化し、普段の3倍速位の動きでもって濡れた体を乾かそうとモップの様に床に体をなすりつけたり、そこら辺にあるものにこすりつけたりして部屋が無茶苦茶になるという話で一致するのだ。

お風呂は大嫌い。

大嫌いなはずなのに、フェレットはそのことを繰り返し忘れる。「お風呂」という言葉を聞くだけで、隅っこに逃げていく犬とは違って、フェレットはそこら辺の学習能力がないみたいだ。

<何してるの。>

覚えていないのかい。
お前の大嫌いなお風呂に入っているんだよ。

口を閉じても歯が出ているゴン太。間抜けちゃんと呼ばれているが、間抜けちゃんはお風呂でのいやだった出来事を今日も忘れている。湯舟に浸かっている私にはそれがおかしい。

先日もヒョイと持ち上げて風呂に入れたが、風呂に入れられた瞬間、君は泳ぐどころか、溺れそうになりながら私をさんざん引っかいて、「助けてくれー」と恐怖に怯えた顔をしたまま暴れイタチとなってすたこらさっさと逃げていったじゃないか。

今日もゴン太はずっと待っていた。

<ねぇ、何してるの>

立ち上がって私をジっと見つめている。

あっちに行きなさいと言ってもずっと待っている。

しょうがない。
気乗りは全然しないが、ヒョイと持ち上げ湯舟に入れた。

<ヒャーーーーっ、溺れるーーーっ>
<なんだ、これはーーーっ>
<助けてーーーーーっ>

痛い。私はまたあちこちを引っかかれ、顔に湯をバシャバシャとかけられて、手に負えなくなったイタチを風呂から出したのだった。

ゴン太は3倍速の動きでモップになって、つちのこ風にニョロニョロと風呂場から急いで出て行った。

湯舟にはイタチの毛が浮かび、風呂上がりにはぐちゃぐちゃに荒らされた部屋の整理に床拭き・・・。

「お風呂なんて大嫌い!」

それは私の台詞だ。

片付けをしながら、学習能力がないのは自分の方だなとため息をついたのであった。

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2006年02月15日

午後、家の前の坂道を下りて行く時に春を感じた。

ポカポカとして、
坂を下りるダンボと私にも春の日差しが広がった。

ダンボ、今日は春みたいだね。

春を覚えているかな。
一年前の季節のことだよ。

もうすぐ君は3歳の誕生日を迎える。

いつも私が残念に思うのは、家に来るまでの6ヶ月間をどんな風に過ごしていたのかを知らないことだ。その間に犬は犬で何か悲しい気持ちになったりしたこともあっただろう。

外に出た瞬間から家に入るまで、君はしっぽをおしりの下に隠してしまう。理由を知って外が楽しくなる様に、私が工夫をしてあげられたらいいが、君は本当はどうしたいかを教えられない。私も気付けない。そこにちょっとだけ片思いの距離を感じている。

公園からの帰り道は坂を登る道。
私はいつも息が切れて休み休み歩く。

私を置いてどんどん先に行ってしまう日もあるけれど。他の誰かとこの坂を上がる時は、猛スピードで家に向かって走っているらしいけれど。

私がちゃんと歩いているか、
時々止まって気にしてくれる様になった。

帰り道は小さな子ブタちゃんがナイトに思える時だ。

今日は外があたたかいね。
春を覚えているかな。

家の前にまっすぐ延びる一本道。

ここに住んで雪柳が綺麗な角をいくつか見つけた。

本当の春はまだもう少し先なんだって。

雪柳が咲く。
沈丁花が香る。
桜が咲く。

少し君よりも私の方が春のことを覚えている。
長く生きているからね。

今日みたいなのが春。

忘れていいよ。

今度は春が来る。
冬の次に春が来る。

春は、君が産まれた季節の次の季節のことだよ。

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2006年02月24日

今日はイタチのチビ太の8歳の誕生日だ。

チビ太という名前を付けた時、名前にふさわしい位のチビだったが、今は年を取ってまた別の小ささを感じるチビ太なのだ。

8歳の誕生日を迎えられたらいいな・・。

あまりそういうことは考えない様にしようと、それが自分の願かけだった。副腎の病気で体の毛も半分以上が抜け落ち、爪も厚くなり目も濁って、もう昔の様な元気はない。段のある所ももう登ろうとしないし、足腰もだいぶおぼつかない様子で、飛び跳ねたりやんちゃばかりをしていたチビ太ではない。

でもそこで眠ったり、たまに起きてご飯を食べていてくれるだけで私は嬉しい。彼は恐らく何も考えずに、彼の生きる力に沿って過ごして居るのだろうが、チビ太に痛いということがないのなら、どれだけヨボヨボになっても私はまだ一緒に暮らして居たい。

片思いの真最中だ。

いつの間におじいちゃんになっちゃったのか。彼の姿を見て一日のうちに何度か思う。あまり自分が寂しがってはいけないな・・などと、チビ太のことについて沸き上がる自分の心と話をしたりもする。

8歳になれたらいいな。
なれたらいいな・・・。

秋ぐらいから、その願いは誰にも口に出して言わなければ叶うんじゃないかと一人でジンクスを持つ様になり、根拠もなくそれをお守りにしていた。叶えばいいな、と心待ちにしながら、早く時間が過ぎたらいいな、だなんて、一緒に居られる時間が少なくなるのを待っているみたいじゃないか。

などと、頭の中では余計な会話もいっぱいした。

今日は好きなおやつをあげたかったが、おしっこがうまく出なくなってきているので病院へ連れて行くのが本日のイベントとなった。狭いキャリーに入れ、人間達の言うことをきかないといけない時間を与える。これが病院へ連れて行くことだ。

チビ太にもわかるはずがない。

眠っていたらいきなり自分だけが狭い箱に入れられ、知らない場所でムンズと掴まれたり体を触られたりするのだ。時には注射もされる。その理由もわからないだろうし、どれぐらいかのストレスや恐怖心を与えているのは確かで、その代償に後で体が楽になることを私は願うしかない。

おめでとうとありがとうを私は彼に対して想っていたが、チビ太にとっては穏やかなだけの一日ではなくなった。

家に着き玄関でキャリーを開けたら、チビ太は一番に自分の寝床へ向かって走って行った。あっちが自分の居場所だと一緒に暮らすこの家の間取りを彼は彼で覚えている。

今までに3つの家で一緒に暮らした。

私には全部が楽しかった。

「今日はチビくんの誕生日だったんだよ。」

嬉しい話をダンボに聞いてもらう。ダンボは少し首をかしげた後で、私が楽しげな顔をしていることで安心をして尻尾を振る。

飼い主達が動物との暮らしで一番嬉しい日は、
彼等の誕生日を一緒に居られることだ。

チビ太からたくさん貰った。

老いてなお、今日私が一人で心細く持っていた欲張りな願いを、彼は叶えてくれた。

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2006年03月11日

私には現在ダンボという恋人が居る。

彼の本心はわからないが、多分・・・彼は私が飼い主と犬の関係で居たいと思っていることに、同意はしてくれていない気がする。

困ったことに、この子ブタ犬は私のことを「俺の女」だと思っているのではないか。

とにかく独占欲が強く、私と二人きりで居る時だけが機嫌がいい。同居人が部屋に入って来るだけでいきなりものすごく怖い顔で吠えまくる。お前、さっき遊んでもらっていただろう。ただ、コーヒーを取りに来ただけじゃないか。「ここに来るな!」子ブタは怒り狂って叫ぶ。

私が誰かと話すだけでも「ワン!」と吠えてあわてて間に入ってくる。かわいがってくれるヘルパーさんでさえ、私と直接話すのがイヤらしく、真ん中に割って入って座っているのだった。

インターフォンが鳴ると今度は私が攻撃を食らう。

「他のヤツとしゃべるな」

私は吠えまくられながら飛びつかれたり引っ張られたりと大変邪魔をされながら「は、はい」とインターフォンに出ている。

<さっきはすまなかった>

また二人きりになると彼はおとなしくなる。自分の身繕いをしたり、私の足を舐めていたりする。知らん顔をしていたら私の肩に乗って来る。それでも無視をしていたら私の横で穴掘りを始める。

ドライヤーの音がすると外出が近付いているのがわかるらしく、これまた「本当に行くのか」とソワソワし始め、用意が出来て鞄を持った時点で今度は怒り狂って私にものすごい形相で襲ってくるようになってしまった。杖で追い払ってやっとドアの向こうにおしやると、玄関を出ていく時にはドアに向かって体当たりで吠えながらぶつかっている。すりガラスの向こうでは1メートル位のジャンプでもって頭突きをしているのが見え、ほぼ激高状態なのだが、玄関を出て鍵を閉めると「なんで俺を見捨てていくのだ」と今度は鳴き声を変えて「ワォーン」と遠吠えをしているのだった。

私が居ないと全てのヤル気をなくし、あんなに吠えていたのに番犬としての仕事も休んでしまい、私が帰って来ても迎えには来ずに布団の中でいじける始末。

「お前はワンコちゃんなんだよ」

トイレにまで付いて来て監視をされている。

お前が人間だったら逃げる。
ワンコだから付き合っているのだ。

3歳の恋人。種類を越えた恋人。

布団の中から目だけを出して、今日もこちらを見張っている怖い子ブタちゃんなのであった。

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2006年03月24日

イタチのチビ太は8歳を越えたおじいちゃんイタチだ。
8歳のチビ太はご長寿イタチ。

病気がちな動物は、それでも大事にしてくれる飼い主さんの所へ、元気な動物は元気のない人の所へと行くらしい。

たまたま店員さんに勧められて抱っこをして戻せなくなったが、彼は私のために私の所に来てくれたんだなぁということをよく思う。

だが去年の秋にとうとう多くのイタチが発症するという病気になった。体の毛が半分抜けて、昔みたいな艶のある毛のない痛々しい姿になった。

今年になっておしっこをあまり出せなくなった。

8歳の誕生日はおめでとうではなく、
病院に連れて行くことだった。

以来毎日朝と晩に薬を飲んでいる。

シリンジを口の中に入れるとゴクゴクと飲んでくれるので好きで飲んでくれていると思ったが、器に入れて出すと自らは飲もうとはしないので、やっぱり薬は好きではないのだろう。

薬を飲ませながら頭をなでて話し掛ける、これが今のコミュニケーションだと思うようにしている。

昨日はチビ太の嬉しい変化に気がつかなかった。

「あれ、毛が生えてる!」

飲んでいたのは毛生え薬ではなかったのに、毛の抜けた箇所に5分刈り位の毛が伸びていたのだ。

思わず声をあげて同居人を呼んだ。

「昨日はこうじゃなかったよね」

同居人も昨日はこうではなかったと言う。
私もそう思う。

フェレットは、このドアを開けたいと思ったら開けることにしつこくチャレンジをする。ここに登ってみたいと思ったら、あの手この手を使って上に上がろうとする。やんちゃなイタズラは全部この性質で達成され、「またやられたなぁ」と人間達は苦笑をしながら後始末をするはめになる。

赤ちゃんがミルクを飲む様に、チビ太はシリンジから薬を飲む。

小さな体でチャレンジをしているチビくん。

彼は私のために私の所に来てくれたのだろう。

体に生えた毛をなでてみたら、手の平がチクチクした。

芝生と同じ手触りがした。
寝転んだら青空が気持ちよかった、あの芝生と同じ手触りがした。

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2006年03月31日

「迷子のフェレットを探しています」

昨日、同居人が作ってくれた写真入りのチラシだ。

丸一日、8歳のチビ太の行方がわからなかった。
私の不注意だ。

昨日の朝に機材を出したり、出掛ける時に慌ただしくしているどこかのスキに、外に出てそのまま居なくなった。いつもイタチが外に出ない様にということには、とても気をつけていた。昨日もそのことに注意をしながらで、その場には同居人が居たので、外に出ていったということは有り得ないとずっと考えていた。

同居人から「チビ太がいない」と電話をもらったのが昨日の昼12時頃。それから家の中も外も探してもらい、チラシも配ってもらったが夜中になっても見つからなかった。

私が帰ったのは深夜。

帰り道に電話をしたがやっぱり家にはいないと同居人が暗い声で言った。車で送ってもらう途中に感じる外の風は冷たかった。なんてひどいことをしてしまったのだろう。

家に居なかったらもう死んでいる。せっかく元気になって、老いてもなお私達を幸せな気持ちを与えてくれた大事な生き物を、どうしてこんな目に遭わせてしまったのか。

いつも同居人達はすぐに何でも「ない」「なかった」と言うそれを私があっさり見つけて「どこ見てるんですか」とイヤ味を言う。チビ太は家に居るんじゃないか。私が帰ればいつもの様に簡単にチビ太を自分が見つけられるんじゃないか。

まだ少しそんな風に思っていたが、家の中が引っ越し作業の様に荷物が大幅に動かされたあとを見て、本当に家には居ないんだと思った。

足に力が入らなくなって歩けなくなった。
腰が抜けるということは初めてだった。

明るくなってから外を回る。

「迷子の猫を探しています」

自分もそんなビラを今まで何枚も見てきた。その時に「見つかるといいいな」と胸を痛めたが、こんなに悲しいことだとは思わなかった。

@@@@@@@

昨夜。

会社のTちゃんが保健所か警察に届けがないか問い合わせてみたらどうかと教えてくれたことを頼りに、午前中に保健所に電話をしたら目撃情報の連絡があったことがわかった。

「その時は生きていたみたいですけど・・・」

その後のことはわからないということだった。そこの保健センターでは生きている動物は引き取れないらしく、連絡をくれた人には動物愛護センターと警察の番号を教えたとのことだった。

愛護センターに電話をした。その後警察に電話をしたらそことは別の警察でフェレットが保護されているのを知り、そこに電話をすると一致する条件のフェレットを預かっているということだった。

急いで阿左々谷にある警察まで行った。

落とし物会計室の奥から出てきたのは・・

チビ太だった。

届けて下さったのは近所の方だった。警察まで連れてきてくれたのも、電話を保健所や警察にかけてくれたのもその方がして下さったのだ。

毛布にくるまれたチビ太。

よかったですねと警察の人達が笑ってくれた。

触るとあたたかかった。もう私は冷たくかたくなっている体を抱くことになると思っていた。昨夜の寒さは外で耐えられるはずもなく、脱走をしても今までは必ず帰ってきたチビ太だったが玄関前に敷いた毛布の中にも庭に置いたセーターの中にも帰ってきては居なかった。今朝自分が歩いて探したのはチビ太ではなくチビ太の亡きがらで、飼い主としてのせめてもの償いは自分が見つけることだと思いながら歩いて回っていたのだった。

本当によかったと人目もはばからず号泣した。

警察からお礼の電話をしたあと御婦人には会いに行って取り急ぎのお礼を伝えに行くと、名前は知らなかったが、チビ太を助けて下さったのは以前から犬の散歩で軽い会話をかわす御婦人だった。

「抱っこを何度もさせてくれておとなしかったですよ」

御婦人の話では家の前にうずくまっていたらしかった。チビ太は人を噛む。そのことも私は気にしていたが、御婦人にはおとなしく抱っこをされたのだそうだ。そして捨てられた可哀想なフェレットとして御婦人の家に保護され、でも万が一飼い主が探しているかもしれないと一旦警察に預けて下さったのだ。

御婦人だったからチビ太は救われた。
お礼はいくら言っても言い尽くせない。

”3月29日午前11時以降、居なくなりました。
お心当たりの方、情報をお待ちしています。

ちびた
8歳
高齢のため、動きが遅い。

過去に興奮をして差し出した人の手を噛んだことがあります。ご注意下さい。”

助けてもらった命はやわらかくてあたたかかった。

タクシーの中であくびをして
あごを乗せてスヤスヤと眠ったチビ太の顔を
私は忘れられないだろう。

桜が咲いていた。

おかえり。チビ太。

泣きはらしてハニワみたいになった顔で。

こんなにあたたかい春を感じたことはなかった。

Posted by: 吉川みき 2006年03月31日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2006年04月15日

犬も泣くのだろうか。

たまにそう感じることがある。

この館ではイタチ二匹が兄貴で、一番弟がお前なんだよという話を何度もしている。ダンボはやってきた当初はおとなしかった。それでこのままいい関係が出来ると思っていたが、成犬になってからはイタチよりも強いということを誇示する様になってしまったのだった。

人間が居ない時には、イタチと犬は顔を合わせない様にエリアを別にする。自分が居て彼等が顔を合わせる時には、毎回私はレフリーだ。

よその家のワンコで誰も教えてもいないのに、自分より小さな生き物を優しく守る犬が居る話を何度か聞いてきた私としては、ダンボになんとかそこを覚えてもらいたい。

「優しくしてね」
「守ってあげてね」

繰り返し言ってきたが文節が長すぎるのか、ダンボは「優しくする」よりも「自分の場所を守る」ことの方が優先順位が高く、確かに優しくしてあげている時もあるが、イタチを叩く時もあってムラがある。

レフリーの時は緊張をする。

自分の目の前でイタチを叩く時もあるからだ。

かなりイタチも悪ノリをしているなぁとヒヤヒヤする時もある。「ダンボ、ありがとう!」と先に叫ぶとダンボは我慢をしてイジワルを寸前でやめる。まぁイタチにも悪い時がある。

「ありがとう」の単語は、物を拾ってもらった時や二階の同居人を呼びに行ってくれた時にダンボが耳にする言葉だ。その後にはおやつがもらえて誉めてもらえる言葉として、彼は「ありがとう」についての認識をしている。

今日も緊迫のレフリータイム。

今日のはイタチが悪い。イタチはわざとかどうなのか、たまにダンボの居る所にやってきて「退け!」と挑戦的な行動をする時があって、本当なら自分が掴まえて引き離せばいいが床近辺の争いになるとそれが出来ないのだった。

ダンボは今日はちょっと我慢をした。

自分は悪くないのにと人間だったら言っている。

動物と暮らすのは難しい。自分の体が不自由な所が、正しいしつけやリードが出来ていない一番の課題だということを何かしらの折りに感じ、そんな時はやはり彼等に可哀想なことをしたと思う。

ダンボを呼んで抱っこをした。

時々、「ありがとう」の話を私は彼にする。人間に話す様な会話言葉になっているので、何を言っているのかはわからないだろう。

自分のせいで、時々矛盾をした場面に動物を置いて戸惑わせてしまうことは知っている。

どれぐらいかに一度、私はダンボのいい所や、どうしてここに来ることになったのか、それから普段のお礼やこれからも一緒に居てねということ、それらの話を頭をなでながらゆっくりする時があるのだが・・・。

ダンボは決まってこの話をすると涙を浮かべた。

今までは気のせいかなと思ってきた。

あまり深く考えない様にしていたが、
ダンボは今日も、涙を一杯浮かべていた。

最初に目をしばしばさせ、そして睫毛が濡れて、涙が溢れて、今日は右の目頭から涙が垂れてきたのだった。

どうしたの、ダンボ。

犬は泣くのだろうか。
あまりセンチメンタルに考えない様にしていた。

人間にだって、不条理な出来事がたくさんある。
自分だけで癒しきれない時もあって

でも心が凍らない様に。

誰かに願ったり自分にも願ったりする。

静かな夜に。

「いつもありがとうね」

ダンボはいつまでもおとなしく、
飽きることなくジっとしたまま私に撫でられていた。

Posted by: 吉川みき 2006年04月15日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2006年06月12日

洗面所は横にガラガラと開けるタイプの扉。

廊下と玄関の所がイタチエリアなので、洗濯機のある洗面所には動物が入らないようにと、この扉は、いつもピッチリと閉めることに気をつけている。だがうっかりと閉め忘れているんだろう、洗面所に行った時に扉が開いていてこの中で遊んだと思われる形跡が残っているのだった。

うっかりミスは続く。

閉めたつもりがやはり閉めていない。

<さっきはちゃんと閉めたはず>

それでも開いている扉を見て、ここ数日は自分の記憶力にさえ自信がなくなってきていた所だったのだ。

今日、謎が解けた。

「あっ」

廊下でバッタリ、イタチのゴン太がこの扉を開けている所を見たのだった。ピタっと閉まった扉の下に寝そべってうまく爪を引っかけてガラガラと戸を開け、そして洗面所の中に入って行く。

あぁ、そこで暴れるのはやめて。

自分がうっかり閉め忘れて、それでそこにウンチをされたとばかり思っていた。ちょっとはお洒落な暮らしが出来るかと思ったのも束の間、洗濯機の足下にダンボールで囲いをすることになり、暫定的にこういうことをしてもその場合もうこれでいいかと次に引っ越すまで、このままにしてしまうのである。

ちょっとしたスキを突いてダンボがマーキングをしたカーテンも何度拭いたことか。

家の中は動物達のエリア拡大。

私は”家に帰っても居場所がないお父さん”。

一家の長だったのは最初だけ。今やこの家の中でのプライベート空間はトイレと湯舟の中だけになってしまったのであった。

Posted by: 吉川みき 2006年06月12日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2006年06月15日

今自分が一番長い間一緒に過ごしているのが、犬のダンボだ。躾も間違いが多いせいか、私はどうもダメ飼い主チームに居る。そしてダンボ自身も個人の性質が元から変わっているという感じもあって、一緒に暮らした他の犬にはなかった面がちょこちょことあるのだった。

お前の気持ちがわからない。

が、どうしてか私にはお前が私を支配しようとしているように思えることがあるのだよ。

ダンボの独占欲は日に日に増している。寂しいのだろうか、それとも支配欲から来るのだろうか、前の家ではここまでひどくなかったように思うのだが・・。

私を見張り布団の中からジっと見つめていることを基本にして、私がキッチンに行くと後をついてきて見える位置に座る。インターフォンが鳴れば興奮をして吠え、それに応答に出ると私に激しく抗議し、無視をすればおしりを噛まれることになる。

前はここまでだった。

引っ越してきた時は初めはおとなしかったが、最近はイタチとほんの少し話すと怒り、ドアを閉めてそれをすれば部屋に戻った時には怒りのマーキングがしてある。花に水をやりながら「こんにちは」とご近所の御婦人と挨拶をしただけで猛犬になって部屋の中で吠えまくり、電話も話し相手が誰なのか伺っている。長い電話になると「もう切れ」と言わんばかりに吠え、そして普段私を迎えにきて仕事に連れていってくれるY氏には更に憎しみを抱いていて、電話で話すだけで吠えまくって会話が聞こえないようにするのだった。

ダンボに対しては愛情を「伝える」を意識して接しているつもりだ。イタチと接する時にもいたずらにダンボにやきもちを妬かせようということもしていないし、抱っこをしてのお話タイムなど、いろいろ気をつかっているのだ。

愛情が伝わっていないのだろうか。
目一杯注いでいるつもりだが、もうわからなくなる。

そのくせ「おいで」と呼んでも聞こえないフリをする。シクシク泣いていたとしても知らん顔。

このまま困り果て、またあらたな動物を連れてきてしまいそうなのだ。ふとしたことで「動物同士ならうまくやれるかもしれない」ととてもいいアイデアに思えて実行してしまいそうなのだ。また・・・。

そうしてウチには動物が増えていった。
ここの生態系は”自然の力による”ではなく”ダメ飼い主によって”おかしくなったのだった。

Posted by: 吉川みき 2006年06月15日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2006年06月23日

ダンボは相変わらず今日もベッドの上を陣取っている。

何事もなかったようにくつろいでいるが、
ダンボくん、昨夜はいっぱい走りましたね。
お疲れではないですか。

昨夜は深夜2時過ぎに譜面をコピーしにコンビニに出掛けた。この辺りは夜は人気がなく民家がない道を歩いていかなければならないので、一人で歩くのは怖いのだ。

チビ犬だがダンボはこんな時の護衛者として3匹の動物達の中から選ばれたナイトとなる。

「一緒に行ってくれる?」
「付き合ってくれる?」

ダンボはこの言葉を散歩のことだと認知していて、散歩の場合だと他には「お散歩行く?」がある。ダンボには床に落ちた物を拾ってもらう時には「拾ってくれる?」と言う。彼は私の「@@くれる?」の響きがどういうことなのか知っていて、自分がそれをして助けてあげることで、私があとで「ありがとう!」と言ってオヤツをくれるということを覚えているのだ。

ダンボくん、暗い夜道をよろしくね。

コンビニに着くといつも彼には外でしばし待ってもらうのだが、ゆうべはコピー用紙の原本を置いた所で、女の人が「ワンちゃん、逃げてっちゃいましたよ!」と慌てた様子で店内に居た私に教えてくれたのだった。

ダンボ、深夜にコンビニより逃亡して帰宅を図る。

「ダンボーー」

すぐに出たが姿は既になかった。

が、彼は方向音痴なのだ。

犬にしてはめずらしく自分の家がわからないドン臭い所があって、今まで飼った犬にはなかったが多分帰巣本能が非常に弱い。目一杯走って”あっち”の方に行ったと通りがかりの人に教えてもらったが姿はなく、その時点で家の方向ともやはりちょっとズレていた。

「ダンボーーー!」

「ダーーンボーー!」

深夜で迷惑だろうがデッカい声で名前を呼ぶ。恐らく私の声は聞こえているだろうが声の方には戻って来てはくれなかった。

最初は私を守るつもりでいたが、途中で自分が怖くなり、一人で帰ろうと思ったが道がわからなくなり、だが私の声をきいても「アイツにはオレを守れない」と判断をしたダンボ。

もう何でもいいから車には轢かれないでおくれ。

私は杖でかつてない最速のスピードで通りの歩道の緩やかな坂を登ったのだ。

「ダンボーー」

いろいろささいな自分のミスを反省し、泣きそうになりだいぶ歩いた所で遠く向こうの方から、白い小さな犬らしき動く物と人の姿がこっちに歩いて来るのが見えた。

ダンボは近くの交番の巡査が捕まえてくれたのだった。

何事もなかったかのように今日は平和だ。

「ダンボ、お散歩行く?」

昨夜のことをすっかり忘れて、
ノリノリのダンボくんなのである。

Posted by: 吉川みき 2006年06月23日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2006年07月08日

今日はペットシッターさんの面接の日。

「面接」は私がペットシッターさんを面接するのではない。
ウチの可愛い動物達がペットシッターさんの面接を受けるのだ。

まぁ、内容としては”どんな子なのか”という一応の事前の顔合わせと、後は”餌をどのぐらいやるのか”や”トイレの世話はどのようにやるのか”などの具体的なお世話の打ち合わせということなのだろう。基本的に動物の扱いに慣れている人だろうから、よほど手に負えない獰猛な個体や瀕死状態ではない限り、受けてもらえるのだとは思う。

ピンポ〜ン。

電話では話をしていたNさんと、まずご挨拶をする。

50代と思われる男性だった。女性スタッフの方が来るのかなと思っていたらご本人が来られたので、警戒心の強い私はちょっとだけ<留守中に私のパンツとか、被らないですよね>と疑ってしまった。挨拶をして早々に、<すみません、男性だと皆そう思ってしまうんです。ごめんなさい>と心の中で謝ったのだった。

玄関を上がってもらった所で、早速イタチ2匹が廊下にはみ出て爆睡していた。フェレットはものすごく寝相が悪い。時代劇で斬られて地面で死んでいるエキストラAの俳優さんといった風に、最初に寝ている姿を見たら、それは寝姿ではなく悶絶死をしたような姿に見える。

Nさんはフェレットはあまりご存じなかったようで、人が訪ねて来ても、そばに近寄っても熟睡をしているイタチを見て「ずっと寝てるんですか」と驚いておられたのだ。

「そうです、生きているかどうか一日の中で何度も確認してるんですよ」

2匹は面接には起きては来なかった。
「観察」で面接は終了となった。

次は変わり者のワンコの面接になる。

扉を開けるとたてがみを震わせて、恐ろしい威嚇吠えと共にダンボが飛び出して来た。先日、ついにY氏の股間を噛んだ獰猛チワワなのだ。”たてがみ”は普段はないが、家に誰かが来た時と私が出て行く時には、鼻筋を真っ赤にするのと背中の毛を立たせて激しく吠え、この時は私の静止などお構いなく突進していってしまう。

やめて。
面接に失格になってしまうから。

ダンボは変わり者のワンコだが、私が居ない時はただの気の弱い犬になる。一人ぼっちの時は全てのヤル気をなくしワンとも吠えなくなってしまい、私が帰って来てもしばらくはイジけて布団の中から出て来ない。今のようなことはないということを説明してなんとか面接はクリアしてお世話をしてもらえることになったのだった。

ペットシッターさんにお願いをするのは初めてだ。でもペットホテルに預けるより家に置いた方が、うちの動物達はストレスが少ないと判断をした。3匹共性格は違うがみんな弱点は私に似ている。

仕事とはいえ、動物を捨てて行くかのような罪悪感がちょっとよぎる。

しかしそれにしても3匹を4日間頼むのは結構な出費になるのだ。

おりこうにしていてね。
それから、元気でいてね。

一人暮らしになって、ペットのことも含めいろいろどうしようと不安に思うこともあったが、今の所はなんとかやれている。

明日の夜から旅に出るのだ。

Posted by: 吉川みき 2006年07月08日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2006年07月16日

朝、自分の食事が終わると動物達に餌をあげる。

イタチは好き嫌いがハッキリしていて、オヤツは2匹の間でもそれぞれ違い、自分の口に合わないものは食べ物という認識ではなくなるらしい。

いつまでもそこに放ったまま横で寝ているという位ハッキリとしているのだった。

犬はなんでも食べると言いたいが、これもまた思ったよりずっと頑固で半生タイプのものと硬いものを混ぜて出すのだが、鼻を突っ込んで半生だけを食べて硬い方は夜まで食べずに残しているのだった。

腹が立つことにダンボは餌を入れている私を見ていて、それが自分の好きな餌かどうかをチェックしている。そして「待て」「よし」の合図に対する反応を変えてくる。

ちょっと贅沢な値段も高めのシチュー風の餌の時は、「待て」と「よし」で素晴らしい反射神経を見せるのだ。

「待て」

ストン。

私の手の平を見て、ピタっと静止をし、
賢そうな姿勢でダンボは待つ。

「よし」の合図でスっと体を動かし、その動きは小さいブタちゃん犬には見えない美しささえ感じる。

が、たまに硬い餌しかない時がある。

「ダンボ、ごめん。買うの忘れてたわ」

そんな時は、餌を入れている所を見ながら
不満のオーラをいっぱい出してくる。

「待て」

こんな時、ダンボは命令を一度では聞かない。

「待て」

・・・。

「待て!」

<よっこいしょ。>

好きな餌の時とあきらかに態度は違い、その後

「よし」

と、言っても「待て」のまま動かない。

「よし」

・・・。

「よし!」

<よっこいしょ。>

そしてゆっくり餌入れの所に近付き、
口にはせずこちらを恨みの目で見るのだった。

<これじゃない>

<いらない>

今日も餌入れを見たら、好きなものだけを食べた跡が残っていた。選んで食べるのはやはり若干食べにくいのか、それでもわざわざ餌入れから外に出したりしているので、一部は床に放ってあったりする。

犬好きのヘルパーさんに、硬い餌は歯とアゴの健康にも大事だからと教えてもらったので、それもあって出しているのだが・・・・。これら床に放ってある餌は、夜になって湿気ったら食べるので硬くなくなっているのだった。

「食べなさい!」

動物は子供みたいに”泣きながら食べる”ことはない。

小学校の頃の同級生、薬師神くんは
毎日泣きながら牛乳を飲んでいた。

あの頃は「泣き虫!」と思って冷ややかな目で見ていたが、今はなんて立派な子供だったんだろうと思っている。

Posted by: 吉川みき 2006年07月16日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2006年07月24日

最近、チワワのダンボは窓を開けた瞬間を見計らって、ピョーンと外に飛び出るようになった。

彼が狙っているのは南側の窓が開く時と西側の窓が開く時。「こら!」と怒って呼び戻そうとするが、いわゆる”おちょくられている”状態で、自分の気が済むまで部屋に戻って来ないのだった。少し前にこの辺を縄張りとしている自分より大きな白い猫に向かっていって、猫が逃げたことで気が大きくなったらしい。外に出ると家の近くは「オレの縄張り」だと本人が思うようになってしまった。

南側の窓から出た時は、柵でそれより外に出ないようにしているが西から出たら自由は無限、行く気になれば箱根まで行けるしフェリー乗り場に行って船に乗れば北海道までも行けてしまう。

が、内弁慶なので家の前の1〜20メートル程道路を、猛ダッシュで行ったり来たりするのが気に入っている。

ただ走る。
ひたすら走る。

その速度は車より速い。

ダンボは白い猫ちゃんを追い払って以降、
ここの王者だと自分で思っている。

だが、王者はちょっとドン臭い。

外に出て興奮をしてそのまま部屋に猛ダッシュで飛び込もうとして、網戸が閉まっていることに気づかずに体当たりをして1メートル程反対に飛ばされることや、窓が閉まっていることにも気づかず窓に体当たりをして地面に叩きつけられたりしているのも私は見ている。助けてあげたかったが、動作が速すぎてついて行けなかった。

今日は西側の雨戸を閉めようとしたスキを見つけて、シューっとやってきてそのまま出て行ってしまった。丁度向かいの家の息子さんが家から出てきた所にダンボは突進していってしまったのだった。

<噛んだらどうしよう>

気づいたら自分も一緒に部屋を飛び出していた。

ダンボに続いて私も向かいの息子さんの所に来ていた。

「あぁ、平気ですよ。ウチも前に犬が居たんで」

ここの家はお父さんとお母さんとは話したことがあったが、息子さんとは初対面だった。

このまま引っ越しの挨拶をした方がいいのだろうか。

「足、裸足ですよ」

引っ越しの挨拶も、こんばんはの挨拶も
混乱を整理出来なかった。

「裸足ですけど、大丈夫ですか」

犬は時速160キロで先に部屋に戻ってしまい・・・

「裸足、大丈夫です」

と言うのが精一杯であった。

王者は私を置いて帰ってしまった。

乳母はもうお暇が頂きとうございます。

部屋に戻るとウンチがコロンとしてあった。

窓が開いたスキに外に飛び出たいダンボ。そしてこれまた誰も居ないスキにうんちがゆっくりしたいダンボなのであった。

Posted by: 吉川みき 2006年07月24日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2006年08月10日

チワワのダンボが、開いたドアの隙間からこっちを見ている。

尻尾をフリフリ。
フリフリ。

わかっている。
ダンボは私に誉めてもらうのを待っている。

躾の一環で、「トイレシートに上手におしっこが出来たら褒めてあげる」という項目があった。家の中でのおしっこの場所を覚えさせる為に、シート内に粗そうをせずおしっこが出来たら大袈裟に褒めるのがよいとされていて、それは最初に覚えるまでの期間だけの躾でよかったのかもしれないが、今でもわざと別の場所にマーキングをしたりするので、未だにこの躾を継続しているのだった。

彼は覚えた。

「あそこのシートの上におしっこをしたら褒めてもらえる!おやつがもらえる!」

おしっこが成功したのを、私に早く気付いて欲しいらしい。

フリフリ。
フリフリ。

隙間から見ている。

実際、躾の本の通りに大袈裟に「エライねー!」と褒めた時のダンボは、こんなにわかりやすい犬も居ないなと思うほど飛び跳ねて大喜びをするので、実際にはトイレシートを片付けるのは私で、特に本当なら褒めることでも何でもないのだが、自分も一緒に飛び跳ねてダンボとおしっこの成功を喜んでいるのであった。

途中でふと、自分をアホだなと思う。
が、一瞬フリーズしたあとでまたダンボと飛び跳ねる。
だがダンボはうんちがいつもハズれる。本人はちゃんとしたつもりでいるのだが、シートから10センチ離れた場所になり、これは最初に努力を買って合格としてしまった私がいけなかった。以来彼は10センチはずれを今日までキープしているのだった。

フリフリ。
フリフリ。

うんちがコロンとしてあった。

しょうがないので10センチはずれのうんちを褒める。
「やったー、やったー」

自分でもこれは少しずつ修正をした方がいいんじゃないかと迷いながら、今日もまたダンボと一緒に喜んだ。

ダンボは犬の中でもちょっと頭が悪い方なのではないかと思う時がある。

おやつをパクっと加えると、ダッシュで逃げていく。

明日で私の所にやって来て3年が経つ。

3年間10センチはずれのうんちをし、
3年間一緒に喜び、
3年間おやつを上げると同時に私は用なしとなり、

3年間「本当はハズれなんだけれど」と思いながら
私はうんちを拾っている。

でも、ダンボだからこうしてお互いのヘンテコなルールが出来上がった。

それが君と暮らしているという実感だ。

あら、ダンボくん。
おやつ、もう食べちゃったの?

3年間彼と一緒にいられたということが
何より幸せな私なのである。

Posted by: 吉川みき 2006年08月10日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2006年09月26日

朝起きたらイタチエリアにしている廊下が血だらけになっていた。

大量の血に私はとても動揺をした。

昨夜、寝る時にはこんなことにはなっていなかった。
私が寝ている間に何かが起きたのだ。

これはチビ太かゴン太のどちらかが流した血。

何があったの。
ケンカをしたの。
どうしたの。

吐血か下血かをしたのは老齢のチビ太だった。
取り合えずすぐに病院へ連れて行く。

8歳7ヶ月のチビ太は人間で言うと、もう90歳位になる。一昨年の夏に足腰が弱ったがまた元気になり、去年の秋には排尿障害になり毛も一時は抜けてしまい、もうここからは元気にはなれないことを先生から説明はもらっていたので、余生についてのことはずっと頭にあった。

老齢で十分長生きをし、私自身心の準備もしてきたのに、それでもこんなに悲しく寂しい気持ちになる。血がこんなに出ているのを見るのは、ショックだった。一日のうちで何度も私は、元気でいるか見に行っていた。外で働いている人よりもずっと管理が出来る状況にありながら、こんなことにしてしまった。

病院で止血剤の入った注射をしてもらい、瀕死のチビ太はまた今度も助けてもらった。

今回はもう先生から治療の提案はない。チビ太の寿命がもうそれほど長くはないことを前提にいくつかの方法を話してもらい、私も家でチビ太を見送ることを伝え家に連れて帰ってきたのだった。

注射が効いたせいか、家に帰るとチビ太は元気を取り戻した。せっかくチビ太だけの部屋を作ったのに、そこはイヤらしい。

自由がいい。
自由にしていたい。

ジっとしていた方がいいのにと思うが、隔離した清潔な箱から出すと、よぼよぼとしながらそれでもチビ太は洗面所や風呂場、廊下の探検をするのだった。

これからどうしよう。
どうするのがいい。

チビ太を眺める。

私も自由が好きだよ。

でもとても心細い。

人の心もわからず、自分の心も持て余してばかりの私がどうして動物の気持ちなんて汲み取れるだろうか。

だからきっと足りないことだらけだろうけれど、
どうぞ許してね。

私はお前にとても感謝をしている。
大好きで大事だった。
少しでもそのことを多く伝えたい。

あとどれぐらい一緒にいられるのだろう。
いつ居なくなってしまうのだろう。

わかるのならその日は用事は何も入れずにいるのに。

痛いことがなるべく少なく済みますように。
苦しいことがなるべく少なく済みますように。

あんなに仲良しだったゴン太は、熟睡している。ダンボは私がイタチエリアに居ることが気にくわず、マーキングをしている。

3匹は動物だ。

私の溢れそうな感情よりも、もっとシンプルな心だけを持って、彼等は自分自身を生きている。そこをすごいと感じてきた。

彼等には出来るだけ自由をあげよう。
ある日そう決めてからずっときた。

涙で見えなくならないように。

最期まで、自分が揺れずにいられるように。
それでも一緒にいられる時間が、一日でも長く続きますように。

Posted by: 吉川みき 2006年09月26日 | | コメント (14) | トラックバック (0)

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2006年10月14日

朝起きたらイタチが元気かどうか見に行く。

ここ2年位ずっと毎日そうだった。

スヤスヤと眠っているのを確認すると「生きててよかった」と安心をする。一日数回、私の生活に自然にあることだった。

2年離れて暮らしたということは、私にとっては飼い主なのに何もしなかったと胸がチクっと痛むことだった。

ごめんね。

いつもそれは消えなかった。

先月末に高齢のチビ太は大量に出血をし、もう長くないと先生から話はしてもらっていて、この2年で何度か調子を悪くしていたが、今度はもう本当にその時が来るんだということはわかっていた。

今朝いつものように朝起きてチビ太を見に行った。

今月の1週目、チビ太は小さくはなったが出血も止まり穏やかな日が続いていた。スポイトで砂糖水をあげると私の目を見ながら美味しそうにそれを飲んでいた。砂糖水ばかりあげていたら、元気になった時に病気になってしまうんじゃないだろうか。心のどこかでまた元気になっていくチビ太を想像していたが、毎日小さくなっていくのを見るのは悲しく寂しいことだった。

玄関の上がり口に腰を降ろして、チビ太の寝ている姿を眺める。心の準備の期間を老いてなお私にくれるチビ太を、今さわっても大丈夫かな・・・と、手を出したり引っこめたり、そんなことを何度もした。

ペットショップで抱っこをして、そのまま返せなくて私のところに来たチビ太。どうしよう、なんて無責任なことをしてしまったんだろうと後悔をし、フェレットってどうやって飼ったらいいんだろう、でも可愛いなと思いながらケージの中を見ていた時を、この静かな期間は思い出すことが多かった。

こうして見ていたことがあったな・・。
また赤ちゃんに戻ったのかな・・・。

今週になって後ろ足が動かなくなった。

外に出たいという気持ちももうなくなって、更にチビ太は日に日に小さくなっていった。片目が開かなくなり、週の真ん中にはご飯も食べなくなった。

ご飯、もういらないんだね。

痛いの?しんどいの?
見た目では穏やかそうだったが本当の所はわからない。

今朝も玄関に腰を下ろし、チビ太を眺める。弱ってからはなるべく起こさないようにした。目が覚めると砂糖水だけは少し飲んでくれた。白髪が多くなったチビ太の毛を撫でながら、でもこの時間は私にとって今日も幸せな時間だった。

急に居なくならないで、一日ずつ彼は自分の姿で別れを私に伝えてくれた。

今朝、抱っこをした時にその軽さで私もわかった。

今日か明日に逝ってしまうんだね。

出来れば月曜日まで待ってはもらえない?

でもそれは私の都合。チビ太の予定が決まっているのなら、もう強くお願いはしないけれど。でもしんどくなければ、もう少しだけ逝かないで待っていて。

そう心の中で話しかけた時に勝手な願いだなと思い、やっぱり嘘だよ、今のは違うからと心の中でまたつぶやいた。

出掛けに「チーちゃん、行って来るね」と声を掛けたら、寝かせた格好のままチビ太は私の顔を片目で見ていた。目をつぶっていたのに、その時だけ目を開けたのだった。そして目が合ったそれがチビ太との最後になった。

帰って来て玄関の鍵を開けたら「チーちゃん」と言って一番に様子を見に行く。ゴン太やダンボには悪いが今は順番が一番だ。

眠っていると思っていた。
朝寝かせた状態のままの格好で。

チーちゃん。

お腹が動いているような気がしたけれど、少しして掛けていた布団をめくるとお腹は動いていなかった。

チーちゃん。

死んでしまったんだね。でも本当?

チー。チビ太。

洗面所に行きお尻をお湯で洗った。イヤがるからもうやめたけれど、本当はお尻の所にいろいろこびりついているのがずっと気になっていた。

もう痛くないのだとわかると安心をして触れた。
頭も自分の触りたい強さで触れる。

苦しまずに亡くなってくれただろうか。
痛い思いはしなかっただろうか。

眠ったような表情に私は救いを求めていた。
痛くなかったと思おうとしている自分がいた。

今は泣けない。今日は思い切り泣けない。明日は7年ぶりにお客さんを笑ってお迎えする日だから。明日はどうしてもハニワみたいな顔では出掛けられないから。

ごめんね。

一緒に暮らしてくれてどうもありがとう。
ありがとう。

ベッドのそばに椅子を置いて、その上に小さなチビ太用のベッドを作った。

まだ魂が残っている気がした。

ここでしばらく一緒に居てね。
月曜日は一日居るから待っててね。

丸くなってチビ太は眠っていた。

何故、今日だったのだろう。
私が元気になるのを見届けるかのように。

8年7ヶ月。8ヶ月までには10日足りなかった。

氷で腫れた目を冷やした。

10月14日。

まだ半分認められずにいる。

小さな動物だったが、私は彼を尊敬していた。
彼は非常に頭がよかった。

チビ太は与えられた一生をしっかり歩き、
そして今日その命を終えた。

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2006年10月16日

秋晴れ。

チビ太、おはよう。

クルンと丸まってチビ太は眠ったような格好で椅子に横たわっている。

昨日はたくさんお花を頂いたよ。
チビ太に飾らせてもらおうね。

ダンボは身近な生き物が死んだということを、少し理解が出来ているのかもしれない。椅子を近付けてチビ太を見えるようにすると、ダンボは今日もジっとチビ太を見ていた。

眠っているのではなくもう動かないということは多分伝わっているのだと思う。一定の距離でチビ太を見て、そして特に何か感情的になるようなこともなく、またしばらくしたらそこから離れて自分もくつろぐのだった。

ハンカチタオルを上布団にして、そこで眠っているみたいにしている。

このままの姿で残しておきたいなと少し思う。
いつまでこのままにしていて大丈夫なのかな。

死骸となった姿に固執してしまう。

ペットの火葬業者に電話をしたら、今日は予約でもういっぱいなので明日の朝に伺いますということになった。

亡くなってあらためて縁があったと振り返る。生命力の弱い個体は手厚くケアをしてもらえる飼い主の所へ、心や身体が弱い人間の元にはそれを助けに元気な個体が行くようになっているのだと、前に友人が教えてくれた。その通りだった。

ペットショップで抱っこをして返せなくなったチビ太だったが、そのもう一つの裏の理由は、多分当時あまり幸せな恋愛をしていなかったからだと思う。

その頃の私は寂しかった。

自分を必要としてくれる存在、互いを必要とし合う確認も要らない、そのことを疑わずにいられるそんな存在が欲しかった。遠慮や我慢、何もなく無防備に自分を出しても傷つかないでいられる相手が必要だった。

チビ太は心の支えになってくれた。

抱っこをすればいつもあたたかかった。
それだけで安心をくれた。

窓の外が見える場所に椅子を持っていく。
網戸から風が時々スーッと入ってくる。

3匹の動物は好きなことがみんな違った。チビ太は網戸の所で外を見ていることが好きみたいで、私はその後ろ姿を見るのが好きだった。

今日も草野球の試合を誰かがしているね。

たまに風でカーテンがフワっと動くと、日差しがチビ太を照らす。もう目を離しても、脱走してどこかに行く心配は要らないんだなぁと思いながらキッチンへ行く。

チビ太の心をあまり深く意味づけないようにと思っている。だが彼は一生をかけて、その行動で私を悲しませないということを最後の最後まで貫き通した。それがどれだけ自分を大事にしてくれたことだったかについて、私は気がつかないといけない。

忘れないよ。
ありがとうね、チビ太。

秋の晴れた一日。
3匹と私、静かで穏やかに今日が過ぎていった。

Posted by: 吉川みき 2006年10月16日 | | コメント (2) | トラックバック (0)

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2006年10月17日

晴れ。

11時に火葬車から「近くに来たんですが」と、電話をもらう。住所だけで私の家がわかる人は少なく、やはり家がわからないとのことだった。

移動火葬車は少し音がするので、民家が近いと苦情が来るらしく、五日市街道に車を停めたいと言われたが、そんな産業道路で火葬をするのには反対だった。いつも居る部屋から見える野球のグラウンド。そこの駐車場が今は空いているからと頼んで、そこに誘導をして車を停めてもらうことにした。

ダンボとゴン太を一緒に連れて行く。

いつも言っていた。理解は出来ていなかったろうけれど、チビ太が居たからゴン太が来た。チビ太とゴン太が居たからダンボが来た。だから仲良くしてねと。

3匹は心が通い合う兄弟にはなれなかった。結局私が大きなお世話をしただけで、3匹は自分が一番過ごしやすいように、それぞれが好きにやっていた。

でも最後は一緒にお見送りに付き合ってよ。

炉にチビ太の身体を置いて手を離したら、もうこれでこの姿とはお別れになるのだなと思った。ここでひどく泣き崩れてしまう人も居るそうだが、自分は取り乱すことはなかった。今年の春に行方不明にしてしまったが、あれで死なせていたらまた違った。見つからなかったあの夜、狂ったように泣き叫んだことがふと頭をよぎる。

縁あって私の所に来てくれてありがとう。
チビ太は私に人間の友達もくれた。

とてもいい友人達に出合うことが出来た。
チビ太のおかげです。

ありがとう、チビ太。

炉が奥へ行き、扉が閉まるとやっぱり寂しかった。
さようならはやっぱり寂しい。

すぐそばでは今日も野球の試合をしていた。

1時間後、チビ太は骨になった。「これが足の骨です」「これが肋骨」説明を受けながら骨壺に入れて頭がい骨を納めたら後残りの砂のような骨も含めて、全部が骨壺に収まった。以前友人の家で亡くなったフェレットの骨壺を目にしたことがある。家で元気にしているウチの仔達も、いつかこうしてお骨になってしまうのだと切なくなったことを思い出す。

「ありがとうございました」

骨壺を手に火葬車の人に挨拶をして、先にその場を離れた。駐車場の入り口の大きなキンモクセイの木から、かすかに香りが漂ってきた。

今日が晴れていてよかった。

チビくんはお骨になったんだよ。
だからこれからは2匹で仲良くしてね。

チビ太が来て、ある日「チビタ」という言葉が私の生活に頻繁に出て来る言葉になった。「ゴンタ」も「ダンボ」もそう。しつけはダメな方なんだろうが、名前の付け方はよかったんじゃないかな。そう思っている。

居なくなっちゃったらもう口にすることはなくなるのかと思っていた。

骨になってもチビ太と呼んでいる。

このかけがえのない小さな命のことは、これからも忘れない。
私の元に来てくれてありがとう。

チビ太と過ごせてとても幸せな日々だった。

Posted by: 吉川みき 2006年10月17日 | | コメント (4) | トラックバック (0)

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2006年10月24日

犬は人間の言葉がどれぐらいわかるのか。

前から興味があったのだ。

短い単語でしか伝わらないと言われていて、「待て」「よし」「ダンボ」「お散歩!」「ありがとう」「こら」辺りまでは把握しているのはわかる。

でも本当に文章になると理解が出来ていないのだろうか。わからないフリをしていた方がいいと思って、そうしているだけなのかもしれない。だって、いろいろ言葉がわかるとなれば、自分は話せないが愚痴を聞かされたり小言を言われたりと面倒臭いことがいっぱい降りかかってくる。

本当はどうなんだね、ダンボ。

毎日こんなに暇にしているんだから。そう、キミは一日ほとんどの時間をゴロゴロと寝て過ごしている。

本当はかなり日本語がわかっているのではないか。

そうか。なんで今まで気づかなかったのだろう。

<本人に聞いてみるのが一番よい。>

そこで今日は直接ダンボに聞いてみたのだった。

「ダンボ、おいで」

目の高さが合うところにダンボを呼んで座らせた。

「いいですか?ダンボ」

目が合った状態でそのまま話を続ける。

「私の話していることがわかる?」

「わかったら、”うん”と言って教えてね」と、ジェスチャーで首を振ってみせる。

「わかったら”うん”。いい?」

何度か説明をした。
そして、いざ本番。

「じゃ、行くよ」

「私の話していることが」

「わかりますか」

「わかったら”うん”」

「はい、どうぞ!」

・・・・・。

ダンボは”うん”をしなかった。
首をかしげ耳を立てたまま私の目をジっと見つめているだけだった。

「もう一度、聞きますよ」

「ダンボくんは、私の話していることがわかりますか」

「わかったら”うん”」

「はい、どうぞ!」

・・・・・。

ダンボはやはり、不思議そうに私を見ているだけであった。

そうか、よくわかりました。
今後気をつけて接します。

結論、犬は文章が理解出来ない。

しつけ本に書いてあった通り、でも実際に犬に聞くということは思いつかなかった。

本人に聞くのが一番いい。

価値のある実験。説得力があったのだ。

Posted by: 吉川みき 2006年10月24日 | | コメント (4) | トラックバック (0)

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2006年11月14日

チビ太が亡くなってから1ヶ月が過ぎた。

フェレットのゴン太とダンボが仲良くやってくれたらいいのになぁと思う。

が、2匹にそんな気はない。

エリアをドアで仕切らないと、ダンボはイタチの餌をアっという間に食べてしまうし、ゴン太はダンボの場所に無防備に入って来て暴れまくって帰る。お互い自分の陣地は大事で人のエリアにはゴミを捨てるといった自分勝手な態度で、両方が「お前は認めない」とやるので、どこから砦を崩していけばいいのか、私にも難しい課題なのだ。

ダンボは餌を奪うだけでなく、ほんの少しの時間を利用してゴン太の寝床にマーキングまでする。

「あの国がワシゃ欲しいのじゃ」

十分なスペースがそれぞれにあるというのに、なお人のエリアも自分のところにしたい。

「そんなによそがいいのなら、よそに行きなさい」

今日はダンボをイタチエリアにやって、かわりにこちらの部屋には来れないようにドアを閉めた。

しばらくしたらキューンという鳴き声が聞こえてきた。

「もうしません・・・」

ドアを開けるとシュンとしてダンボが耳を垂れていた。こういう時はマーキングのいたずらもしないので、自分の陣地がなくなるのは相当しょげることのようだ。

チビ太は今は白い骨壺の中で知らん顔をする。

ゴン太はチビ太のことを忘れてしまっただろう。ダンボはチビ太が死んだということを多分理解している。

動物との暮らしは、形を変えてまた続く毎日。

チビ太は手がかからなくなった。
心配をする必要もなくなった。

だけど

「チビ太」と今日も私はその名前を呼んでいる。

Posted by: 吉川みき 2006年11月14日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2006年11月19日

ダンボちゃんは、最近お散歩がちょっとだけ好きになった。

「お散歩、行こうか」

この言葉を聞くとピョンピョン跳んで、二本足で私に体当たりでぶつかってくる。

首輪のついたリードを私が手に持つと、ベッドの上にピョーンと飛び乗って嬉しい時のダンスをする。

ダンボは犬が怖くて仕方がなかった。前の家に居た頃は、公園に行けば犬がたくさん居るという記憶から、散歩と聞けばベッドの下に潜り込んで出てこなくなっていたのだった。

何度も犬と会わせているうちに慣れてくれるのではないかと期待をしたが、ダンボは自分の考えを曲げることはなかった。私はダンボが散歩の嫌いな犬なんだと思うようになっていき、散歩にもそれほど積極的に出掛けなくなっていったのだった。

最近のダンボは少しの距離なら行って帰るまでの間、尻尾をフリフリ楽しそうに振っている。丸3年散歩に連れて行ってずっと尻尾をお尻の下に入れていた同じ犬が、フリフリと尻尾を柔らかく揺らして軽く足を運んでいる。

風の音がしたら、またすぐにビックリして尻尾をお尻の下に入れてはいるけれど。

フリフリ。
フリフリ。

自分が上手に理解してあげられていなかった。
ごめんね。

動物の「理由」の多くを私は汲み取れていない。自分が病気になって”あたりまえ”という視線や視点は、常識でも何でもなく思い込みでしかないと考えるようになったにもかかわらず、まだ”あたりまえ”という色メガネで多くを見ているのだろう。

「ダンボ、そっちじゃないよ」

いつも彼は道を間違える。

「こっちだよ」

一瞬、尻尾がタランと下がったあとで・・・。

フリフリ。
フリフリ。

また軽快に足を運び始める。

ダンボが楽しそうに歩くことで、二人の散歩が変わった。

「楽しいね」

私も散歩が楽しくなった。

Posted by: 吉川みき 2006年11月19日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2006年11月27日

ダンボは盗み食いをする。うっかり机に置いたままにしてしまった食べ物や、キッチンで料理を作っている時にポロっと落としてしまった物を自分の物にしたいらしい。

キッチンでは私の足元をずっとウロウロしている。

「あっ」

床に落ちたら「フンガフンガ」とブタが鼻を鳴らすような音を立てて、パクっとくわえベッドの下の自分の基地に走って逃げて行く。その姿はすばしっこく野生の動物のようで、間抜けな人間を見事にダシ抜いてやったというズル賢い面が見える瞬間だ。

私はちょっと寂しい感じがする。

サーっと逃げて行く後ろ姿を私は「あっ」と言って見送るだけ・・・。

行っちゃった。

私の知っている甘えんぼちゃんのダンボはどこに行っちゃったの。

<まぁ、いいか>

私は・・・また料理の続きに戻り、ニヤリとする。

<ふん。馬鹿な犬め。>

机の上に置いておいて忘れてしまったものに関しては、ダンボは時間をかけて狙っている様子。私がそばに居る時には手を出さずに、私がそれを忘れることをどうやらお祈りしているみたいなのだ。

寝ているフリをして時間を繋ぎ・・・。

私が別の部屋に行った時を狙って、「ゴソゴソ、バリバリ」と机から”かっぱらう”ようにしてそれをゲット。物音に気づいて「あっ」と、あわてて見に行くと、ベッドの下にまた超高速スピードで逃げ込んで行くのが見える。

姿はない。

ダンボは思っている。

<やった!成功!>

ダンボちゃん、そういうのって悲しいよ。

ま、いいけど。

<お前は馬鹿な犬だね>

私はまたニヤリとしてその場を離れる。

ダンボの作戦が成功をおさめた3時間位あと・・・。
この頃は同じ現象が起きる。

<グ、グ、グエ〜ッ>
<ゲーッ>

ダンボは今の餌にかえてから体質が変わったのか、ここ数ヵ月で人間の食べ物を受け付けない体になった。欲張って”かっぱらって”いっても3時間位するとそれをモドすようになったのだ。

ダンボは<しんどくなっちゃった>と急に飼い主を見るような目で私を見るのだが、私は心配をした優しい目ではなく、この嘔吐物を片付けてダンボの盗み食いの収拾をつける余計な掃除をするのに怒っている。

「さっき泥棒したからでしょ」

可哀想に・・・という気持ちはこっちにはない。

ダンボちゃんのことを馬鹿犬だと思う時がある。

<それ、ボクの。取らないでー>

吐いてもそれは自分の食べ物だと主張をする。チリトリに掃かれて捨てられるゲロを追い掛けて来て、ゴミ箱に入れられるのを悲しい目で見ている。

<ボクのなのに>

ダンボちゃん、わかりやすくていいが・・・。

お前から見て私は間抜けだろうが、
私もお前を間抜けだと思っている。

ダンボは盗み食いを成功させ、
そのあとで必ずお腹を痛くしている。

もうそろそろ学習したらどうだろう。

ダンボの成功は失敗のもとなのであった。

Posted by: 吉川みき 2006年11月27日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2007年02月25日

ただいま。

一日、家を空けていたせいか、めずらしく、いつもは熟睡中のイタチのゴン太が起きてきてくれた。

あらあら、お迎えしてくれるのかい。
いいこだね。嬉しいよ。

というか、

起きれるんじゃん。

奥のドアを開けると、やはり。
犬の糞だらけであった。

ダンボは一日に多い時で、6回もウンチをする。一日一回の決められた量のエサしかあげていないのに、どうしてこんなにお通じがいいのかと思うが、今日も帰ったらトイレ付近に5箇所に糞がしてあって、まずそれを片付ける。

ごめんよ、する場所がもうなかったのか。

ダンボも寂しかったんだろう。よく、帰っても暖房をつけるまで知らんぷりをして布団の中から出て来ないことがあるが、今日はダンボも歓迎してくれた。私はいつも2匹を可愛がっているつもりだが、動物には無視をされる傾向にあるのだ。

2匹共が「おかえり」とやって来てくれた。

今日はダンボの誕生日。
ダンボは4歳になった。

「ダンボちゃん、おたんじょうびおめでとう」

ゴンちゃんにも話してみた。

「今日はダンボのおたんじょうびなんだよ」

2匹共、反応なし。

どうでもいいよね。

CD棚には亡くなったチビ太のお骨。

3匹と暮らすことで、”無防備な心”でいられる時間をたくさんもらった。

心を開け放つと、嬉しいとか悲しいとか寂しいとかが、ものすごく直に肌に来る。

人間の大人同士が、なかなか無防備な関係になれないのは、「悲しい」や「寂しい」がどれだけ悲しいことか、どれだけ寂しいことかを知っているから、だから何かあってもあまり悲しくならないように、あまり寂しくならないようにと、自分に”ガワ”を着せて行ってしまうからなんだろう。

どっちがいいのかな。

嬉しいをたくさん感じられるのと。
悲しいや寂しいを少なくするのと。

ダンボちゃん、おめでとう。

いや、「いつもありがとう」の方がわかりやすいかな。”ありがとう”は、オヤツがもらえる言葉だと、ダンボは思っている。

狭い一角にイタチと犬と私が集まって。

嬉しい時は、とびきり嬉しい。

動物との暮らしは、それを教えてくれた。

Posted by: 吉川みき 2007年02月25日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2007年07月27日

ブタねこちゃん。

この辺を縄張りにしている白い猫のことだ。

赤い首輪をしているのでメスなのだろうが、その顔はとても「女の子」には見えない。いかつくてごっつい顔をしているので可愛いという感じはなく、ボスの風格があるのだ。夜中に「フギャー」と叫びながら、同じくここを徘徊しているキジネコと派手に戦っていて、相当気が強いのではないかと思う。

隣家の屋根で寝そべっていたり、路地でくつろいでいたり・・・・、塀の上を歩いていたり、前はバス停のところで見かけたこともある。

私とはいくらかの距離をおいた間柄。近所のおじさんと息子さんは触っているが、ブタねこちゃんは私とは仲良くなる気持ちはないらしい。私も彼女の縄張りに触れないように、今は目が合っても知らん顔をするようになったのだった。

時々、じーっとこっちを見ていることがある。

私はこの先住者に一番気を使っている。引っ越して1年が過ぎたが、まだこのブタねこちゃんとの関係には緊張感を伴うのだ。

最近は私の家の窓のすぐ外、敷地内でくつろぐことが多くなった。去年はなかったことだ。バイクの横にデンと横になり、無防備に寝ていたりする。

今日もカーテン越しに昼寝をしている姿が見える。

ブタねこちゃん、少しは警戒心がほどけたのかい。

そこが気に入ったのなら、好きなだけお昼寝をしていきなさいよ。

奥の部屋にはダンボが、足元にはゴン太が、そして右に目をやればブタねこちゃんが気持ちよさそうに眠っている。

それぞれは私と取りたい距離があってそれは全く違うものだが、共通して言えるのは動物達はみんなお節介が嫌いということだ。

犬、イタチ、ねこ。
3匹3様。

3匹の眠っている姿が同時に見えるこの位置に立った時、今日は自分が3匹の動物達と暮らしているような気持ちになったのであった。

Posted by: 吉川みき 2007年07月27日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2007年09月11日

ホテルのチェックアウトを済ませてから、祐民子ちゃん達には京都で待ってもらって実家の父に会いに行ってきた。

本当は今日はみんなと京都で別れて、私は大阪に一泊して一日ズレて帰るつもりだったが、ゴン太のことがあったので予定を変更してみんなと一緒に帰ることにしたのだった。

一人で帰るのが心細かった。
一緒に帰りたかった。

数日間の旅でいろんなことを共有したような気がする。それは出掛ける前に想像していたよりも、ずっと中身も濃く大きいものだった。

写真もたくさん撮ったが、脳裏に記憶された一瞬の枚数達もとても多い旅になったんじゃないだろうか。一日前のことがもっと前の出来事のようにも思えて、多分年月が経てば経つほど、いい旅だったとかみしめるような気がする。

大津のサービスエリアは薄曇りの晴れ。

休憩時間、ベンチに座って祐民子ちゃんは琵琶湖を眺めていた。今日は「琵琶湖ってこうして見ると海みたいですね」と景色に感動している旅のヒトの顔だった。

高速は特に渋滞もなく、途中何度か休憩をはさみながら、東京には夜の10時頃に到着をした。

一番近い祐民子ちゃんの家の前に車が着くと、「ニャー」と声がした。2匹居るうちの、外に出たがる方のネコちゃんだった。

ニャー。

少し離れた場所まで近付いてきていて、「おかえり」と挨拶をしていて、”あぁ、このネコちゃんなんだ”ということがわかった。金沢に出発をした日、東京はその夜台風で暴風雨にひどく荒れていた。祐民子ちゃんはこの外が好きなネコのことを”大丈夫かなぁ”と心配していた。留守の間このネコを家に閉じ込めないで自由にさせてあげたいと思って外に出したものの、やっぱり自分の選択が正しかったんだろうかと振り返った瞬間はあっただろう。

はじめまして。
元気にしてたんだね。

「ニャー」とだけしか言わないが、そこに座っているネコちゃんを見たら嬉しくなった。

自分は帰ったら亡くなったゴン太の姿を見るのだろう。だがこの悲しみを祐民子ちゃんは、台風の日に疑似体験をしていたのだ。だから、ニャーと鳴く姿を見ると本当に嬉しかった。よかったよ、キミはそんなことも知らないだろうけど。はじめましてのネコちゃん。

お疲れ様でした。

一緒に旅をして本当にいい時間を過ごせた。
音楽の旅、出来たね。
いろいろあって、いろいろあったけれど楽しかった。

祐民子ちゃんと別れて、私も家に送ってもらう。

「ただいま」

ゴン太は最近気に入って寝ていた方のかごの中、タオルに包まれて眠っていた。

ゴン太の体があったかいような気がした。
抱くと動いたような気がした。

そんなはずはもうないのに。

眠っているような顔で、だけど目と口がギュっと閉じていて、それは眠った顔のゴン太ではなくチビ太が亡くなった時と同じ閉じ方をしている。ゴン太が亡くなったことをそれで現実のこととして確認したのだった。

ダンボがいつものように飛びついて来る。

ただいま、ダンボ。

チビ太が死んだ時と同じように、椅子にゴン太を寝かせて自分のベッドの横に置いた。頂いたお花がたくさんあって、それをゴン太の周りに添える。チビ太が亡くなった時も頂いたお花がたくさんあって、それも一年前と同じだ。

ごめんね。ゴンちゃん。

小さな頭だ。

年を取ってきてからは、あまり触れなかった。撫でたり、抱っこをしたりすると人間の手の重みが負荷になるかもしれないという風に思うようになっていて、昔のようにムンズと掴んだり、軽く触るということが出来なくなっていた。

ゴン太の頭。やっと気にせず撫でられる。
自分の触りたい気持ちで撫でられる。

今日は本当は私にとっての夏休みだった。一日、全部のことを置いて好きに過ごせる日として、めずらしく「この日は休みにします」と伝えていた日だった。

この姿のゴン太と過ごせる最後。

だから今日はもう何もしなくても大丈夫。
一緒に居させてね。

キツネみたいな顔になったゴン太だった。

星になったの。
何になったの。

私が居ない間にゴンちゃんは楽しい姿だけを思い出に、苦しいとも痛いともその姿を私に見せることもなく、もう二度と目を開けてはくれないゴンちゃんになった。

Posted by: 吉川みき 2007年09月11日 | | コメント (0) | トラックバック (0)

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2007年09月12日

今日の午後は、一年前にチビ太が亡くなった時にお願いをした移動火葬車に来てもらう予定になっている。

花に囲まれたゴン太。家に居たら、こんなに華やかにお花を飾ってあげられなかった。

何を話そうか。
まだ、いろんなことが整理出来ない。

ごめんねばかり言っている。

チビ太にはこんな風じゃなかった。

「ごめんなさい」と「ありがとう」。

同じ5文字なのに、